刀剣 もののふの心
都内で日本美術を専門的に扱っている美術館は何箇所かはあるのだけど、よく私が足を運んでいるのが恵比寿にある山種美術館である。
山崎種二さんの作ったところで、当時の日本画家とも交流があったそうなので、自身に送られた作品も含めて多く収蔵している。
また重要文化財も多くコレクションしており、速水御舟の「炎舞」も持っており、定期的にお披露目されている。
今まさに開催中の企画展が速水御舟なので、来週辺りに行こうかと思っている。
で、そのほかで最近よく足を運ぶのがサントリー美術館だ。
六本木のミッドタウンの中にあるので、行くたびにセレブな人やセレブに憧れる人とすれ違いながら向かうわけだが、存外煩くないし、広くて綺麗でゆったりみられるのでいい美術館である。
カフェも併設しているのでおされな人たちもよくいるが、ともあれやっぱり美術館はゆったり感が大事だ。
そんなサントリー美術館では現在刀を中心にした展示を行なっている。
忙しくて書きそびれてしまったが、この一つ前に開催されていた「ざわつく日本美術展」でも数点展示されており、私はそれまでちゃんと刀って見たことがなかったんだけど、なんたら美しいのかと感動してしまった。
昔からゲームで刀を武器にするキャラクタが好きだし、やっぱり憧れてしまう武器だ。
銃よりも色気もあるしな。
まあ、昔の戦場にあって色気もクソもないわけだが、やはり日本刀というのはその芸術性もあっていいですよね。
なので、勇んで出かけてきました。
刀剣 もののふの心
今回の企画展では刀を中心としつつも戦国の風景を描いた絵や、刀身だけでなく鞘や鍔といった装飾品なども展示しているので、タイトル通り戦国時代のあれこれも見られるのが面白いところだ。
【開催概要】
我が国では、刀工の優れた工芸技術と武家の美意識を背景として、古代、中世以降、様々な名刀が生み出されてきました。近年、日本美術に対する関心が高まる中で、とくに刀剣は注目を集める分野と言えましょう。
(中略)当館が開催してきた展覧会においても、歴史に名を連ねる武将に関連する美術や史料を多数展示してきましたが、刀剣や甲冑武具こそは、言うまでもなく武家の人生や暮らしにおいて大切にされた根幹を成すものであったと言えます。
この展覧会では、京都や近畿を中心に、由緒正しい神社や崇敬を集めてきた寺院に奉納され、伝来した貴重な刀剣を一堂に集め展示します。それぞれの刀剣には、所持した武将とその英雄譚、鍛え上げた刀工、守り伝えた人々などについて、様々な伝承が大切に受け継がれてきました。(中略)今回の展示では、これらの刀剣にまつわる伝説についても、絵画や史料も加えてその意義を深く掘り下げます。さらに、臨場感あふれる主要な合戦絵巻や屛風によって戦に赴く武家のいでたちをご覧いただくとともに、調馬や武術の鍛錬など、日々の暮らしぶりなどにも着目し、武家風俗を描く絵画や史料を展示します。
【開催期間】
2021年9月15日(水)~10月31日(日)
出典:
最初に書いておくが、刀は画像で見ても正直わからない。
本物を見てこそなので、絵画同様現地で見た方が圧倒的に面白い。
また戦国時代の武将なんかも登場するので、是非BGMにはコテンラジオの武士の回を合わせて見てみて欲しい。
個人的見所
実際の戦いってのはどんなだったんだろうね、というと、もはや文献なり当時の絵画なりでしか知る由もないが、なんとなくイメージする合戦だと、鎧を纏った歩兵が刀を持ってワーーーっと走っているみたいなイメージだろうか。
あるいは武蔵対小次郎よろしく1対1の果たし合いなれば剣道のような感じかもしれない。
といっても、漫画で描かれるほど鮮やかでもなければ潔くもないのが戦場というものらしく、実際はやっぱり血生臭くておどろおどろしいものだったろう。
こちらは戦場というよりは討ち入りというやつか。
石山寺に鎧を着込み抜刀した侍がドカドカと入りこみ、寺は炎上している。
その炎の様もいかにもおどろおどろしく、しかもイメージする侍的な佇まいよりはよほど荒々しく、野伏といっても疑わない描かれ方だ。
綺麗事なんて言えないよね。
そんな時代の代表的な武器である刀、当時は武器としてだけではなく、偉い人への献上品としても扱われていたというので、当時からやはり芸術品としての価値もあったのは間違い無いよね。
こちらは鎌倉時代に作られたもので、重要文化財にも指定されているらしい。
13世期なので、今から800年くらい前になるよね。
ちなみに1192年が鎌倉幕府の起こりと私が子供の頃は習ったが、今は確か1187年とかと教えられるらしいですね。
嶺の辺りに溝があり、形態的にもかっこいい。
当然手入れをされているので、本当の意味で当時のままというわけでは無いと思うが、これだけの時代を経てもなおキラリと光るこの刀身は美しい。
てか、おそらくこの刀も何人もの人をぶった切ってきたのだろうから、それを思うとなんとも不思議な気持ちにもなる。
もっとも、時代劇のように悪漢をバッサバッサと一本の刀で切り倒すことは、現実的には難しいと言われている。
理由は、人を切れば当然血糊や脂がつくので、早々に切れ味は落ちるのだとか。
だから、あんなに鮮やかにスパスパとやっていくよりは、やっぱりぶった切る的な使い方だったのではないだろうか。
桃太郎侍だったか、懐から和紙を出して頭身を拭う様は、史実的なものなのだろうな。
こちらはかの今川義元が持っていた刀だが、それを織田信長が撃ち倒した際に戦利品として奪った刀だとか。
戦国無双では麻呂なキャラでコミカルで浮世離れした設定になっている今川義元だが、海道一の弓取と呼ばれるくらいめちゃくちゃ強い武将であったというのは有名な話だ。
そんな義元を信長が破ったのが桶狭間の戦いであるわけだが、最近では研究が進みそのいくさの様もより詳細がわかってきており、どうやらこちらも私が子供の頃に習ったものとは違ったのでは無いか、と言われているとか。
映像が残っているわけでも無いので、こうして歴史が変わっていくのも面白いものだ。
と、2つ画像を載せた時点で既にあんまり面白く無いので、やっぱり現地で見て欲しい。
ジョジョの奇妙な冒険においても、刀に宿ったスタンドが登場しており、その刀の美しさに魅入られたものが乗っ取られて本体になるという呪いのようなスタンドがあるのだが、その気持ちがちょっとわかる思いがする。
この企画展では先にも書いたとおり、刀だけでなく絵画や甲冑なども展示されており、中には非常に親しみやすいものもある。
こちらは3幅セットのもので、徳川家康、武田信玄、上杉謙信の主だった家臣を描いた作品である。
作者は不明なようだが、名前もちゃんと書いているのでそれを眺めるのも面白い。
また甲冑も、兜だけでなくそれぞれにデザインや防具の作り方も違っておりそれも面白く、また甲冑を作るお店の様を描いた絵画もあり、当時の風俗も見えてくるのが興味深いところだ。
戦国といえど日々の暮らしはあるわけで、馬小屋で遊びに興じるオフの武士の姿なども、どうかコミカルな印象で面白い。
絵画と実物の展示のバランスもよく、刀などを納めていた箱なども出てくるので、なかなかマニアックでもあるので武具とかにワクワクしてしまう人はぜひ行ってみると面白いと思います。
刀と音楽
さて、そんな刀についての音楽としては、いくつか迷ったが素直にこの曲だ。
2曲続いている映像だが、1曲目の方。
日本の誇るロックンロールバンド8otto(オットー)のその名も”KATANA”。
このバンド自体、ギター、ベース、ドラムというシンプル編成で、Voはドラムの人だ。
Strokesが引き合いに出されることがデビュー当時から多かったが、シンプルでソリッドな音楽はまさに日本刀のような切れ味だ。
一時バンド活動を休止しており、それぞれが別の仕事をやっていた時期もあったのだけど、数年前にアルバムとともにカムバック、今は定期的に音楽活動もしながら、なんだか吹っ切れた印象もあっていい感じだ。
関西のバンドなので、時勢的になかなかツアーも出られないので東京でのライブがないのが残念だが、ともあれまたきてくれる日を楽しみにしている。
ちなみに、Dr/Voの人は天然でアフロになるくらいの人だが、それを整髪剤で抑えて営業をやっていたり、ベースの人は飲食店、ギターのうち一人は僧侶になったりと、みんなそれぞれに暮らしをしながらの音楽をやっている。
まとめ
ちゃんと本物の刀を見たのはほぼ初めてだったのだけど、ついきらりとひかる刀身に目を奪われつつ、ただまだまだ見方をわかっているかと言えばそうでもないというのが私の現状だ。
しかし、こういうものは何度か見たり、その中で調べたりする中で見えてくるものや見え方も変わってくるので、今後また勉強してみようをと思っている。
絵画のような華やかさはないが、侘び寂びと呼ばれるものを感じる静かな輝きは、やっぱり魅力的だなと思わせる企画展でしたね。
川瀬巴水 旅と郷愁の風景
日本人は西洋コンプレックスが強いと言われて久しいが、おそらく一定の年齢以上の人は染み付いている価値観の一つだろう。
若い子たちを見ているとそんなことはないし、むしろある層においては無関心ですらあるように思う。
芸術においても西洋美術がいかにも優れているという感じで語られることも多いように思う。
日本の昔ながらの絵に比べ、西洋の写実的な絵の方が見た目にわかりやすくすごいと感じられるので、より優れていると思ってしまいがちだ。
私も以前は日本美術はようわからん、西洋美術の方が綺麗だし写実的だし、精緻ですごいじゃないか、と思っていた。
しかし、最近ではむしろ日本美術の方が好きかもしれない。
いやまあ、どちらがどうと断じることは本質的に無意味であるし、どちらもそれぞれの良さがあるから一概にどうこういうことはナンセンスである。
なんなら近代においては浮世絵に影響を受けた印象派の画家たちが多かったわけだし、反対に日本でも西洋画に取り組むものもあれば独自の感性でミクスチャー的な絵画に取り組むものもいて、事は単純な優劣ではないのである。
海外の著名人たちもその価値を愛でたという話が伝わるたびに得意げに語られるのは西洋コンプレクスの裏返しでやはり虚しくはなるが、ともあれそれが興味の発端になるならそれも悪くはないだろうか。
さて、こうして偉そうなことを言ってみたが、私もまだまだ勉強中、しかし日本の近代画家でも鏑木清方や速水御舟、渡辺省亭なんかは好きだし、奥村土牛も温かみがあって好きだ。
また歌川広重、国芳などを要する歌川一門や葛飾北斎、東洲斎写楽といった浮世絵もよくみに行くし、最近では新版画と呼ばれるものの存在もようやく認知して、この辺りの作家の展示会も開催していれば観に行くようにしている。
興味を持つようになったきっかけは練馬区美術館で開催された電線絵画という企画展だった。
back-to-motif-artlog.hatenablog.com
以前記事にもしたけど、この展覧会は良かったですね。
電気が日本に入ってきて、徐々に日本の風景も変わっていく様を電線という切り口で絵画で掘り下げるというなかなかコアな企画だが、非常に面白かった。
小林清親という人の絵が多かったが、そこで吉田博や伊藤深水、そして川瀬巴水の名を知ったのだ。
ちょうど当時時を同じくして開催されていた吉田博展にも足を運んだが、これもよかったのだ。
back-to-motif-artlog.hatenablog.com
当時私は知らなかったが、それぞれがぞれぞれに版画の新たな可能性を模索しつつ、その作品はとても美しく、海外での評価も非常に高かったそうだ。
むしろ当時は創作版画と呼ばれるものと新版画と呼ばれる彼らの間で論争もあったようで、それ故に日本よりも海外での方が活路があったのだろうか。
どちらが正しいとかいう話ではないだろうが、結果的により日本独自のものという観点では新版画の方がそれが色濃かったのだろうか。
ともあれ、そんな新版画を代表する作家、川瀬巴水はまとまった作品群を是非みたいと思っていたので、今回はまさにこれ好機というわけだ。
開催初日に行ってきました。
川瀬巴水 旅と郷愁の風景
【開催概要】
大正から昭和にかけて活躍した版画家・川瀬巴水(1883~1957)の回顧展です。巴水は、微風に誘われ、太陽や雲、雨を友として旅に暮らし、庶民の生活が息づく四季折々の風景を生涯描き続けました。(中略)その版画制作を支えたのが、浮世絵版画にかわる新しい時代の版画《新版画》を推進した版元の渡邊庄三郎でした。二人の強固な制作欲は、海外にも通用する木版「美」の構築をめざし、今や巴水の風景版画は、郷愁や安らぎをもたらす木版画として多くの人々に愛されています。
本展覧会は、初期から晩年までの木版画作品より、まとめて見る機会の少ないシリーズ(連作)を中心に構成し、巴水の世界へ誘います。(略)
【開催期間】
【前期】10月2日(土)~11月14日(日)
【後期】11月17日(水)~12月26日(日)
前期後期とあるんですね。
通常この美術館では、大体2フロアで展開しているケースが多いのだけど、今回は3フロアを使ってたっぷりと作品を展示。
生涯で数百点にも及ぶ作品を残した作家なので、そりゃ展示には困るまいな。
いずれにせよボリュームなので、心してみに行くことをお勧めする。
個人的見所
彼の絵の全体的なムードとして、侘しさというのがあるように思う。
夕暮れや暮れてからの風景を描いていることが多く、概して静かで少し寂しさを感じさせる作品が多いように思う。
画像だと少し粗いのが難だが、こうした風景画が中心だ。
夏の騒がしさよりは、それが少しおさまってくるようなタイミングの風景だろうか。
こういう静けさを感じされる絵が好きだ。
また夜景を描いた作品も多数描いている。
こちらは夜なので周囲は暗いにもかかわらず、家の隙間からは眩い光があり、いかにも繁華街か夜の街を描いている。
テクスチャを荒く刷って居るのはあえてのようだ。
夜空に輝く星の形がなんだか可愛らしい。
ちなみに、彼の描く星は全てこの形だ。
夜景ばかりでなく、いかにも季節の景観といった感じで、風情があっていいなと思ったのがこちらの絵。
ちょうど今時分の秋の景観だが、滝の流れと微かに舞う紅葉の色合いがいかにも風流だ。
また個人的には雪景色を描いた絵って好きなんだけど、その中でもこの絵は良かった。
電柱も電線も描かれており、すでに近代日本を表している。
しんしんと降り積もる雪の中を人が歩く様、なんだかこういう風情って好きなんですよ。
そもそも私は冬という季節が好きで、特にこういった雪景色を見るとすごく静けさみたいなものを感じて、洋の東西を問わず好きなのだ。
ちなみに、この企画展のメインビジュアルでも起用されて居る絵も雪景色だが、赤と白と黒という色の組み合わせも好きなので、どうしてもグッときてしまう。
そして、やはりというか、私が彼に興味を持ったきっかけにもなった絵も展示されていた。
今の浜町あたりの橋らしいが、時代的にも第2次世界大戦前後の作家なので、今も残る景観を描いている絵も多く残して描いている。
浅草や築地本願寺など、今もそのまま残る景色も描いているので、改めて写真と見比べていく中で、絵画的な再構築がいかになされているか、といった視点でも楽しめるかもしれない。
また今回は割と静か目な絵をピックアップしているが、春の明るい景色や虹を描いた作品もあり、点数が多いので適度に濃淡をつけながら見る方が楽しめると思うが、その中でも自身の気にいる絵をうろうろしながら探すのも面白いのではないだろうか。
川瀬巴水と音楽と
さて、そんな川瀬巴水にマッチしそうな音楽を考えてみるが、こんなのはどうだろうか。
N’夙川ボーイズの”物語はちと不安定”。
一部では評価の高いインディバンド、スリーピースでガレージなラフなロックンロールを展開しているが、どうしようもない日本っぽさみたいなのものを個人的な感じている。
この曲の歌詞にも注目だが「こんなふうに僕らは巡り合って、あんな風にtogetherしているなんて」「物語はちと不安定」と謳われる曲だ。
この川瀬巴水も実は彼の創作活動において生涯の相棒と呼ぶべき存在があった。
それが渡辺庄三郎という人で、浮世絵商であり版画家でもあった人だ。
職人気質で真面目な人だったらしいが、彼の後押しもあり海外の活動であったり新版画家(と呼んでいいのか微妙だが)として大成したわけだ。
途中、先き描いた論争もあり他の版元と組んで取り組んだこともあったらしいが、最後は彼とやはり組んで作品を作り続け、または巴水さんが亡くなった5年後に彼もなくなったという。
結局弟子などもいなかったのかな、後継と言える存在もない中だったらしいが、生涯旅をしながら作品を描きつづけた彼の物語は、ときにちと不安定ながら芸術家としての伴侶も得て、きちんと評価も得たので結構幸福な生涯だったのではないだろうか、なんて思ってしまう。
まとめ
彼の作品は海外での評価もたかく、今となれば最も有名なファンはスティーブ・ジョブスだろう。
今回の展示会でも、最後の方では彼の作品以外でも、ジョブスが所蔵していた作品をいくつか展示しているし、かのマック初期の頃のリリースでディスプレイに表示されているのは日本の浮世絵だ(川瀬巴水の作品ではないが)。
ちなみに吉田博の作品はかのダイアナ妃が気に入って執務室に飾っていたということだ。
北斎の影響は言わずもがな、渡辺省亭はフランスだったかに行った際に、エドガー・ドガに絵をプレゼントしており、ドガはそれを大事に保存していたという。
本質的に芸術は、自分がいいと思ったものを信じればいいと思うけど、少なくとも海外でも十分評価される表現をしているのが日本の芸術家たちだ。
新版画は西洋絵画の影響も受けているのは明らかだと思うけど、それを浮世絵という表現を発展させる形で取り入れて行ったのは日本人的な得意技の一つではないだろうか。
今や日本だアメリカだ、海外だ国内だという線引き自体が本質的には意味はない時代になっている。
とはいえ、西洋コンプレックスなんてくだらない、洋楽だからかっこいいわけでもない、西洋画だからすごいんじゃない。
日本の芸術はそれはそれで素晴らしさ満点だ。
2ヶ月くらいは開催しているようなので、是非みに行ってみて欲しい。
単純に綺麗で美しい作品は、みていて心が落ちつく。
風景画のはじまり コローから印象派へ
三連休てのは素敵だな、と思っっていた先々週。
オリンピック開催中、コロナ絶賛流行中、灼熱の夏場進行中、そして台風接近中と騒がしいのは夏らしくて良いのか。
私は世相もどこ吹く風にマイペースに過ごしている。
夜は楽しみにしている配信があったものの、他方で方々の企画展は見ておきたい。
そんなわけで早めに起きて準備して、今日はSOMPO美術館の『風景画のはじまり』へ。
この美術館、少し前にリニューアルしたばかりだが、その前からちょくちょく足を運んでいた。
ゴッホのひまわりを所蔵していることでも有名だが、企画展のセンスがいい。
超有名のちょっと手前の、コアながら確かな作品を紹介してくれている。
割と印象派前夜の風景画家を扱っている印象だ。
それこそターナーとかドービニーの企画展にもあったし、今回はコローを中心に上記2名に加え、ブーダンの作品も。
そして印象派の画家の作品も展示されており、まさに印象派前夜の作品を集めたような企画展だ。
所蔵しているのは海外の美術館だが、改修中とあって作品を貸し出してくれているらしい。
最近は国内の作家の企画展が多い中なので、海外の作家の企画展は稀有になる中でありがたいことだ。
※途中まで書いて置いておいたので、冒頭の挨拶のリアルタイム感のなさよ・・・
風景画のはじまり コローから印象派へ
私は絵のジャンルでいえば風景画が一番好きである。
元々田舎の出で、こうしたお盆休みなんかでは親の実家に遊びに行っていたんだけど、そこは山の中。
今は 河岸工事もしてしまったのでどうかわからないが、私が子供の頃、ほんの25年くらい前は普通に飲んでも平気なくらい綺麗な水の流れる川があって、鮎やうなぎ、虹鱒なんかが普通に泳いでいた。
親戚も田んぼで米作りもしていたので、よく手伝っては小遣いをもらっていた。
そんな山川の風景が私にとっての原風景でもあったので、ちょうど風景画の描き出す世界がそんな風景と合致するような思いがあって、その中に入り込むような空想にふけるのが好きなんだよな。
【開催概要】
コローやクールベ、バルビゾン派から印象派まで、フランスの近代風景画をたどる展覧会です。(中略)本展では、このランス美術館のコレクションから選りすぐりの名品を通じ、印象派でひとつの頂点に達するフランス近代風景画の展開をたどります。
19世紀初頭に成立した「風景画」は、フランス革命と産業革命を経て近代化をむかえたフランスにおいて、鉄道網の発達、チューブ式絵具の発明、また新興ブルジョワジーの台頭などを背景に、さらなる展開をとげました。(中略)ミシャロン、ベルタン、コロー、クールベ、バルビゾン派、ブーダン、そしてルノワール、モネ、ピサロら19世紀の巨匠たちによる風景画の歴史を展観します。
【開催期間】
2021.06.25(金)- 09.12(日)
出典:
【ランス美術館コレクション 風景画のはじまり】 | SOMPO美術館
私がちゃんと絵画を見るようになったきっかけは見た目にも華やかで切れない印象派の諸作だった訳だが、その前夜というわけで、やっぱり見ておきたいですよね。
個人的見どころ
日本でも人気の印象派絵画、その先駆け、ムーヴメントのきっかけとなった作家の作品を時間軸にそって紹介されている。
タイトルにもあるように、戸外での制作が徐々に一般化していくなかで、モチーフに風景 が選ばれるようになるようだ。
絵のモチーフにも各みたいなものがあって、上位はやはり宗教モチーフのもので、対して風景画は下の方、という序列であったらしい。
実際昔の絵画は宗教か人物か戦争か、みたいな感じで、あんまり風景画って少ない。
それこそブリューゲルなどは風景というより風俗と言えるかもしれないが、よく見る作家だとそれくらいで、あとはあくまで背景として描かれているくらいだろう。
そんな中で風景がよく描かれるようになった背景は、絵具の携行性が向上したことによる戸外制作の幅が広がったことで、手近にあった風景が選ばれたのだろう。
時間や季節によって常に違う表情なのも、画家にとっては面白かったのかもね。
印象派初期、走りと言われる作家の代表格の一人がカミーユ・コローという人で、この人の絵は昔からしばしば観たことがあった。
素朴な印象ながら光と影のコントラストも鮮明で、木の間から見える景色の抜けの良さというか、広がりかたがみていて気持ちいい。
私は風景画が好きなのだけど、こういう自然風景の絵を見る時は、特にその絵の景色の中に入り込むような気持ちでみている。
昔よく山とか川遊びをしていたので、原風景としてそういうものを描きながら見てしまうのである。
静かな中に自然の音だけがあるような空間って、今は都会にはないからね。
風景画といっても、景色だけではなくて人も多少なりとも描かれているのは構図とかそういう観点なのだろうか。
こちらは同時代のテオドール・ルソーという人の絵だが、真ん中あたりの赤い服の女性がとても印象的なアクセントになっている。
夕暮れ時だからかわからないが、全体には地味目な印象ながら、こうしたところは西洋絵画っぽいな、と勝手に思う色あいである。
ちなみに、当時の絵画コンクール的なやつでは、この絵が称賛を浴びたらしい。
他の風景画と比べると、やはりこの赤がとても際立って目を引いていたものな。
そこから様々な画家も戸外で制作するようになるわけだが、こちらは特に印象派的な絵の始祖と言われるウジェーヌ・ブーダンという人の絵だが、特に空の青なんかとても鮮やかで、全体的にも非常に明るい印象である。
同時に目まぐるしく変わる自然をとらえるためかタッチの荒い絵も出てくるような感じかな。
写真のような精巧さが西洋絵画表現の大きな特徴だったところから、大きな変化ではないだろうか。
表現以外にも制作姿勢だったりとかで影響を与えたと言われる人は他にもたくさんいて、よく名前を耳にするのが自ら船を持って、旅をしながら制作に当たったドービニーという人である。
パルビゾン派と呼ばれる一群があったのだけど、彼はその中心的な作家の一人で、先のコローやルソーもその一人である。
パルビゾンというのはフランスの地名なんだけど、その周辺に多くの画家が集まって、制作活動をしていたことで、その人たちをまとめてそう呼んだということらしい。
後の印象派と呼ばれる多くの画家とも交流があり、セザンヌ、モネ、ピサロ、ドガ、ルノワールなどにも影響を与えたそうだ。
以前もSOMPO美術館でドービニーの個展が開かれたので観に行って、その時に図録も買ったんだけど、全体に静かな風景画とても綺麗で今でもパラパラめくってみている。
この展覧会ではこのパルビゾン派、中でもコローの絵が多く展示されているんだけど、後半ではその印象派画家の絵も展示されている。
私は初めて見る作品ばかりだったので、それも新鮮でよかったですね。
この絵は実物は1m四方より大きい絵なんだけど、これぞ印象派的技法と言わんばかりの作品で、近くで見るとモザイク画のようになんだかよくわからない感じだが、距離をおいてみるとそこに景色が浮かび上がってくる。
この画像だとある程度引きで見た時の感じだけど、実物で見ると岸壁の存在感が全然違う。
またルノワールの風景画もあるのだけど、「ノルマンディーの海景」という絵も非常に面白い。
砂浜を描いた絵なので、ラフに近い印象でもあり、近くで見ると正直なんだかよくわからない。
しかしこれを引きで見ると、「おお!」と思わず唸ってしまう。
いい画像がなかったので、こちらも是非見てみて欲しいところだ。
こうした有名画家の絵もさることながら、初めてみて目を奪われたのはこちらの絵だった。
この画家さん自体初めて知ったんだけど、マクシム・モーフラという人の絵なんだけど、何気ない感じのこの絵がなんか妙に印象に残ってしばらくみてしまった。
画像の解像度が低いので伝わらないと思うけど、印象派的な技法なので、一定の距離をおくと急に印象が変わる作品である。
本当はもう一つの作品の方がすごく好きだったんだけど、いい感じの画像がなかったのでこちらを。
知っている作家も知らない作家もあり、初めましてながら好きな絵もたくさんあって、全体にいい感じのボリューム感でとてもいい展示会でしたね。
カミーユ・コローと音楽と
色々の作家が出てきたけど、やはり今回の主人公、コローと合いそうな音楽は何かな、と考えてみたが、こちらなどどうだろうか。
日本のロックの祖とも呼ばれるはっぴいえんど、その代表作(ていっても3枚しかアルバム出してないけど)である『風街ろまん』の1曲目”抱きしめたい”。
今の耳で聞けば素朴な音楽にも感じるが、演奏一つ一つがシンプルながら聴きどころも多く、また歌詞に合わせてタバコを吐くような音を入れたりと、細かなところも含めておしゃれ。
ついこの間松本隆さんのトリビュートアルバムがリリースされたり、シティポップの文脈で細野晴臣さん、大滝詠一さんも世界的にも再評価が進むなど、すでに50年位前にも関わらずいまだに話題に事欠かない。
いかにも懐古的な奴ら騒いでいるだけだろ、と思う人もいるかもしれないけど、彼らはただ音楽がいいのである。
私も色々音楽を聴く中で彼らの存在を知って聴くようになったけど、音楽から見えてくるイメージがなんだかすごく日本的な感じがあって、それこそ私の原風景に重なるのでえある。
言ってしまえば田舎っぽさ、その中でのちょっと気取った感じ、でもいやらしくなくてセンスがいい。
今現役のバンドやアーティストにも多大な影響を与えているし、作品として素晴らしい。
それはやっぱり原風景的な存在だから、懐かしいのに古いって感じがないのである。
素朴なタッチながら、後進への多大な影響、そのたたずまい的にも、結構マッチするかなと思ったが、いかがだろうか。
終わりに
コロナになって以降、配信だったりリモートだったり、デジタルを介したコミュニケーションなり接触が当たり前になっており、それはいい部分もある。
他方で、やっぱり生であるからこそ伝わることだったり、感じられることだったりというのはあるので、その経験はできるだけしておきたいですよね。
どうなるかわからない中、後悔ないような選択をしていきたいものである。
大きな表現と細やかさ -葛飾北斎「冨嶽三十六景」×川端龍子の会場芸術
連休もはや3日が経ってしまった。
この間の過ごし方は、昼間は美術館に行って、ラーメン食べて買い物して帰って酒を飲むということを繰り返している。
明日は少し違うことをしようかしらと思ったのが昨日、したがって今日は少しく行動を変えてみる。
といっても、朝5時過ぎに目が覚めたので、起きてテレビを見ながらしばらくボケっと過ごし、よっしゃと息巻いて先週買ったエアバイクをキコキコ漕いで少しばかりの筋トレをやった。
ここ1ヶ月くらい、1日30分から1時間程度の軽めの運動で、筋トレといっても腕立てと軽めのウエイトくらいだ。
それでもなんだかやけに肉がつきやすくなったのか、体重がみるみる増えていく。
人生史上見たことのない重量に差し掛かっており、元々タイト目な服ばかりなので、特に肩周りがパチパチになってきた。
どちらかと言えば皮下脂肪を落として、シャープにするつもりだったのに。
ともあれ、まぁせっかくなのでしばらく続けていこう。
そんな朝を迎えて、早く起きたため眠くなり少しだけ寝こけて、而してのち出かけたのであった。
今日は前から気になっていたけど、交通の便が良くないため躊躇われていた、川端龍子記念館へ。
いずれの駅からも離れた住宅街のど真ん中にあり、またそれらの駅も普段使わない路線なのでそこも億劫だったの。
しかし、こんだけ時間もあるし、ちょいと行ってみようじゃないかというわけさ。
企画展で北斎の浮世絵も展示されているとか。
最近北斎絡みの企画展多くないですかね?
葛飾北斎「冨嶽三十六景」×川端龍子の会場芸術
川端龍子の絵は山種美術館でもいくつか見たことがあったのだけど、わかりやすく言うとめちゃでかい絵を描いていた人である。
会場芸術といって、見栄えのする作品を作りたい!といって独自路線を歩んでいたんですね。
そんな彼の自宅に作られたのがこの記念館で、存命の時にはもうできていたらしいね。
縦横数メートル以上という巨大な絵画は、その存在感だけで驚かされるものがある。
【開催概要】
本展では、龍子が愛蔵していた「冨嶽三十六景」全46図と、龍子が富士山を描いた作品群を一挙展示します。
また、龍子旧蔵の伝 俵屋宗達《桜芥子図襖》を特別出品し、龍子の代表作《草の実》(1931年)や《龍子垣》(1961年)等の作品とともに展示し、画家を魅了し続けた古典の名作と、その革新を紹介しています。
日本だけではなく、今や世界的な人気を誇る北斎の名作を龍子の大画面の作品と合わせてどうぞご堪能ください。【開催期間】
令和3年7月17日(土)~ 8月15日(日)
参考:https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/exhibition?20976
基本的には収蔵作品を展示している小さな企画展だが、作家自身がコレクションしていたものの中に北斎の富嶽三十六景があり、そちらを一式展示するというわけだ。
例の波の絵や赤富士はしばしば見たこともあるが、このシリーズながらまとめてみたことはないし、これはなかなか稀有な機会である。
龍子自身もこれらに影響された絵もあり、まあ展示スペースの構造的な問題もあるから単に同じ空間にある、という感じになってしまったのは致し方なしといえど、ともあれ面白い企画である。
個人的見どころ
まずは視界全体に迫ってくる龍子の絵自体がやっぱり強烈だ。
入ってすぐに展示されているのがこちらの作品。
歌舞伎の演目が題材のようだが、とにかく画面全体の力強さと迫力、これである。
私は絵でも音楽でも生で見るにしくはないと思っているけど、彼の絵こそまさにそれである。
彼の唱えた会場芸術とはどういうことか、これを見れば1発でわかるだろう。
デカイので筆の流れもかなりドカンと印象強いわけだが、そのダイナミズムがありありと浮かんでいる。
こうして大きな作品だと、いかにも大味なイメージかもしれないがそんなことはない。
むしろそれぞれは当然のように緻密にしっかりと描き込まれている。
だからこその存在感だろう。
こちらは襖に描かれた作品なので、大きさ自体は他のものに比べれば小さいものである。
桜などが描かれた絵なんだけど、この繊細で緻密なことよ。
基本的な人はこういうものだろう。
静かながらとどっしりした印象だ。
彼は狩野派の影響を強く受けており、それらの影響かこんな絵もある。
黒字に金の絵の具で描かれており、めちゃくちゃかっこいい。
この葉っぱ一つ一つも実に写実的に描かれていて、濃淡も出しながら独自な世界観である。
今回の展示で1番好きだったのはこちら。
今回の企画に沿うテーマだが、北斎の作品にインスパイアされた作品である。
ただ、富士山が描かれてあるのでそれと理解できるが、他の部分についてはもはや抽象絵画的ですらある。
雲海と雷の迸る様や、背景の物々しい様も、空気全てが渦巻いているのが描写されているようで、これまた凄まじい。
ちなみに北斎の作品はこちら。
下の方のキレたみたいのが雷である。
風神雷神で知られるように、雷は雷神様が発生させるものだが、富士山はそれすらも見下ろすくらいデッカいぞ!というわけだ。
雷の周りは真っ暗だから、それだけ荒れた様相なのだろうけど、富士山頂はすっかりいい天気、雷鳴なんぞどこ吹く風である。
北斎については私なんぞが今更いう必要もあるまいが、彼の作品は非常に実験的なところと遊び心が見られ、且つ探究心の塊のような人だったらしいので見ていて面白い。
しばしば実際の景色を再構築して構図を凝らしたり、描き方にもある種のパターンのあるものもあったり、いろいろ試みたのだろうことが窺える。
その最たる例の一つがこちらだろうか。
富士山と湖を描いており、湖面にも逆さ富士が写っているが、よくみると湖面の方は雪がかぶっている。
こんな遊び心を忍ばせたりしている。
今回の展示品は龍子の個人的なコレクションだったらしく、状態も非常に良いもののようで色彩も鮮明でかけているものもなく、非常に質のようものだった。
もっとも、どの時期に刷られたものかはわからないので後になって再刷されたものかもしれないが。
龍子と音楽
そんな川端龍子にリンクする音楽って何かしら、と考えてみると、こちらなどはいかがだろうか。
日本のオルタナティブ・ミクスチャーの先駆けたるBack Drop Bombの"graySONGzone"。
賛否両論を巻き起こした3rdアルバム収録で、それまで全編英語詞だった彼らが日本語の詩を初めて導入。
彼らは元々日本においてHi Standardらと共にインディという価値観を体現していく一方で、Dragon Ashらにも影響を与える形で独自の音楽を展開していた。
ベースはロック、ファンク、ヒップホップ、レゲエと言ったあたりが1stでは色濃く、2ndではハードロック色がかなり強くなる。
そして3rdではダンス・インダストリアルといった打ち込み的な音楽の影響も色濃くなっていく。
正直歌詞はクールとは言えないと思っているけど、曲は抜群にかっこいいし、彼らなりに広く伝えつつ新しいことをやってやると言う気概も満ちていて、この曲を聞いているとなんだか元気になってくる。
わかる人にだけわかればいいではなく、どれだけ多くの人を巻き込んでいくかって言うのは大事だと思うのですよ。
わかりやすいポップさと、丁寧かつ練られたサウンドメイキング 、大きな表現としっかりと描きこむ繊細さ、そんな共通点を見出せないかしら、なんて思った次第だ。
おわりに
私は絵を見るのは好きだけど、そこまで詳しいわけでもない。
いまだに見方のよくわからない絵もあるけど、その人が何を表現しようとしていたか、なんでそういう道を選んだのかなどを情報として知っているだけでも見え方は変わる。
そうすると、形は違えど何かsら共通点みたいなものが見えてくるような気がするのだ。
実際はどうかわからないけど、昔から音楽家と画家だったり、詩人と演劇家だったりが意気投合している事例も多いらしい。
形が違うだけで、そういうのを見つけながら、同じく自分の中の何かと共振しないかを探すのも面白味である。
STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示
この展覧会は先週言ったんだけど、文章を途中まで(約2,000字)書いたところで誤って別ページへ飛んで全て消えてしまったので、意気消沈した次第である。
イヤほんと、デジタルって奴は便利だけど残酷だよね。
もっとも、考えて見ればこのPCが既に6年以上経過しており経過しており、OSも 更新できないくらいスペックが遅れている。
不要なアプリとかデータは削除して、できるだけ外付でデータも保存しているが、文字の変換にも時間がかかるしネットの接続も極めて悪いため、作業効率は爆裂に悪い。
とはいえ、そこまで何かやるわけでもないし、動き出しが悪いだけである程度の時間を使っていると徐々に動きも良くなってくるので、とりあえず使っている。
でも、そろそろ潮時か。
それはともかく、行ってきたのはアーティゾン美術館の新収蔵品展だ。
印象派から抽象画を多くコレクションしており、また海外も国内もどちらもあるため、その辺りを見るには非常にいい感じだ。
また施設自体も2019年だったかにリニューアルオープンしたばかりでとても綺麗、都心のビル群の中にあるが、中は静かで丸っと見て回って1時間くらい。
やっぱりこれくらいのボリュームがちょうどいいですね。
STEPS AHEAD: Recent Acquisitions
今回はここ数年で新たにコレクションに加わったものを紹介しつつ、これまでの収蔵作品と合わせて文脈を整理することで、美術史的な観点でも見えてくるのがこうしたコレクション展の面白いところだろう。
【概要】
近年、石橋財団は印象派や日本近代洋画など、従来の核となるコレクションを充実させる一方で、抽象表現を中心とする 20 世紀初頭から現代までの美術、日本の近世美術など、コレクションの幅を広げています。(中略)キュビスムの画家たち、アンリ・マティスのドローイング、マルセル・デュシャン、抽象表現主義の女性画家たち、瀧口修造と実験工房、オーストラリアの現代絵画など、(中略)さらに前進を続けるアーティゾン美術館の今をお見せします。
【開催期間】
2021年2月13日[土] - 9月5日[日]
参考:
私は最近ようやくいろんな絵を楽しめるようになってきたんだけど、やっぱり抽象画はどうみていいかよくわからない。
小学生や中学生の時には、美術の授業で絵画もあったわけだが、いわゆる風景画、写生会みたいな時にはそこそこの絵をかけていたので良く褒められていた。
しかし、抽象画をかけと言われるとどうしていいかわからなかった。
それははっきりと覚えている。
当時の先生に、思いのまま描いてみろ!とかカッコよさげに言われたけど、今にして思えばあの先生方もよく分かっていなかったんじゃないだろうか。
以前にバウハウス展もみに行ったんだけど、そこでの授業風景なども紹介されており、その時の解説で一端についてはちょっと分かったんですよね。
それ以来その視点で見ることはやってみるわけだけど、また別の背景にはある種の哲学的な視点などもあって、なるほどと思う一方で、そんなものわかるか!と思わず突っ込みたくもなるが、だからこそこういう文脈の中で語ると面白くなる。
印象派もそういう側面はあったと思うけど、絵面的な綺麗さやわかりやすさがあるから人気も出るんだろうけど、そうでないとなかなか理解できないよね。
直感的にそれを感じ取れる感性がある人は羨ましいね。
個人的見所
展覧会の冒頭は日本の西洋画家の絵から始まる。
黒田清輝とかが代表的な人だけど、今回は藤島武二さんという人の絵が中心にあるようだ。
こちらは今回大きく展示されている絵の一つだが、こちらのモデルは中国の人らしいですね。
そこはかとなく色使いなどにそれを感じるようにも思うが、ともあれ東洋の絵で美しい横顔の絵がないのでは?と言ってこうしたモチーフを選んだそうな。
日本で西洋画が徐々に増えてきた頃の画家さんだが、既に本国に劣らない画力を持っている。
とはいえ、同時代の日本画もいい作品はたくさんあり、むしろ徐々に双方の影響を受けたミクスチャーな作品も出てくるので、面白い時代だったんだろう。
それ以降はキュビズムの作品から抽象絵画に入り、インスタレーションはじめ現代アートなども登場してくる。
こちらはカンディンスキーの作品だが、まだ抽象絵画に行く手前の印象派的な雰囲気の残る作品である。
現代絵画の父と呼ばれるセザンヌが、「自然を円筒と円錐と球体で捉えよ」といった発言をしたことで、それがキュビズムを確立するブラック、ピカソに多大な示唆を与えて、またバウハウスの授業でも目の前のものをできるだけシンプルな図形に分解せよ、といった授業もあったそうだ。
こちらは私は知らない画家さんだったが、キュビズムの人らしい。
キュビズムと言えば、ピカソの作品のように子供の落書きなんて言われることもあるけど、その背景を知ってから見るとなるほどなと思えるから面白い。
それこそかつては写真のような精緻な作風が西洋画の大きな特徴だったが、印象派においてはより網膜に移る光や色彩の鮮やかさをどう描くかといった表現にシフトしていった。
また描く対象も、宗教的なモチーフや似顔絵だけでなく、風景画も増えて、かつての絵画的な価値も変わったということらしい。
そこからさらに「絵画とは何ぞ?」といったある種哲学的な問いも発生し、キュビズムや抽象絵画のような作品もどんどん生まれてきたのだろう。
遠近法を使った立体的な表現が主流な中で、二次元でそれを表現したらどうなるかみたいな話がキュビズムの基本発想というから、なぜそんなことを考えたのか、またそれをああいう形で表現したのはすごいよね。
そこからさらに対象を切り刻んで、再構築していく中でさらに独自の作風に転じていくのだけど、この人の頃には既に一定ジャンルとして確立していたんだろうかね。
また抽象画においては、こんな作品も。
文字のようにも見えるし、中央のものは鳥とかトンボにも見える。
タイトルを「絵画」とつけるあたりある種のメタ表現なのかもしれないが、やっぱりパッとみてもわからないよね。
でも、だからあえてこれなんだろう?と立ち止まって考えてみるのも芸術作品の面白みだろう。
人はわからないものに拒絶反応に近いものをよく見せるし、なんなら否定する場合もある。
そんなことはしても何の意味もないし、意味がわからないなら意味がわからないものとして受け入れて、せめてこれってなんだろうかと考えてみる姿勢はとても大事だと思っている。
私は音楽も好きだけど、ようわからんと思いながら聞いているものも少なからずある。
あちこちの専門誌で評価されていても、わからないものはわからないし、でもそれは無価値なわけではないし、また専門誌が扱わないから無価値かといえばそういうわけでもない。
それはそれ、これはこれ、とりあえず何でも一度考えてみることが意味あると思っている。
そのほかにも彫刻や立体作品も多数あり、撮影も可能らしい。
作品の前でポーズして撮っている若い女の子たちがいたが、はっきり言って邪魔だった。
そういうのはどうかと思うが、ともあれまとまってみられるいい機会である。
Step Aheadと音楽と
抽象絵画の訳わからなさを表すには、この音楽だろう。
ニューヨークのアヴァンギャルド集団、Black Diceの"Pigs"。
初期にはBoredomsに影響を受けたトランシーな音楽をやっていたが、徐々にノイズ性とカオス性を増して、なのに独特なポップさも得た摩訶不思議な音楽をやっている。
一応ヴォーカルらしきもあるが、歌というよりは呻き声だ。
J-POPしか聞かないような人にはもはやなんなんのかわからないだろうが、私も正直に白状すれば、よくわからない。
しかし、そのよくわからなさが楽しくなってしまって、気がつけば全アルバムを持っている。
つい先日久しぶりに曲を発表しているので、またアルバムとしてまとまった作品として聴けるのを楽しみにしている。
まとめ
個人的な価値観にはなるけど、わからないものをわからないものとして面白がれるようになると、少なくともストレスは減る。
それって、知らないこと、わからないことを恥に思うことがなくなるし、いい意味で開き直ることになるから、素直に人に教えにも耳を傾けるし、自分で勉強するようにもなると幅も広がる。
別に絵画とか音楽に限らず、仕事でもなんでもそうである。
馬鹿でかい、視界いっぱいの意味不明はそれはそれで感動体験なので、時間のある方は是非足を運んでみて欲しいですね。
コレクター福富太郎の眼
今日は久しぶりの展覧会、東京駅直結のステーションギャラリーで開催中の福富太郎という個人のコレクターの企画展へ。
日本人だと松方さんという方や、原三渓さんという人がいたりと、蒐集家として著名な人は何人かいて、過去海外のビュールレ?という人やそのほか企画展としてしばしば開催される切り口である。
美術館展と違い、あくまで個人の目線でのコレクションなので、画家とコレクターの距離感によっても情報量が違ってくるのが面白いところだ。
特に今回は日本人画家のコレクションということもあり、そのほかでは山種美術館の創設者くらいだろうか。
ともあれ、鏑木清方始め著名な画家の作品だけでなく、初めて聞いた画家の作品もあり、非常によかったですね。
コレクター福富太郎の眼
そもそもこの福富太郎さん、キャバレーのオーナーだったとか。
その中で美術品への興味もあり蒐集するようになったというが、そもそも事業家としてもとても成功した人らしいですね。
キャバレーという言葉自体が既に時代生を帯びているが、キャバクラだってキャバレークラブの略だからね、あくまで言葉の印象なんてのは慣習によるだろう。
それはともあれ、テレビにもでたり映画にもでたりしていたらしいので、素人芸能人の走りみたいな側面もあったのかもしれない。
そんな彼は美人画を主に蒐集していたため、コレクションの多くも美人画である。
そのため、美人画家として名高い鏑木清方や上村松園、また様々な画家の美人画が多くを占めている。
後半では戦争画も蒐集していたようで、時代の描写としての使命感も帯びていたようだ。
いつの時代もアートは政治や世論の弾圧で客観的ではいられないものらしい。
【概要】
福富太郎(ふくとみ たろう/1931-2018)は、1964年の東京オリンピック景気を背景に、全国に44店舗にものぼるキャバレーを展開して、キャバレー王の異名をとった実業家です。その一方で、父親の影響で少年期に興味をもった美術品蒐集に熱中し、コレクター人生も鮮やかに展開させました。(略)
福富コレクションといえば美人画が有名ですが、本展は、作品を追い求めた福富太郎の眼に焦点をあて、美人画だけではない、類稀なるコレクションの全体像を提示する初の機会となります。鏑木清方の作品十数点をはじめとする優品ぞろいの美人画はもとより、洋画黎明期から第二次世界大戦に至る時代を映す油彩画まで、魅力的な作品八十余点をご紹介いたします。
【開催期間】
2021年4月24日(土) - 6月27日(日)
出典;
個人的みどころ
美人画コレクターとして著名なだけあって、やはりまずは美人画だろう。
およそ現代的な視点から見れば、果たしてという側面はあるものの、面白いもので顔だけではない艶やかさのようなものが確かにあって、それが不思議なものだ。
昔はいわゆる和服、着物ですよね、をきているので露出は多くないわけだけど、和服の良さってなんだかんだ女性の女性的な部分はちゃんと見せるような作りになっているのである。
例えば首筋、うなじとかのところはガッと開かれていたり、腰には帯があるのでキュッとしまっている分お尻のラインはしっかり出ている。
胸元があまり強調されないのは日本的な価値観なのかもしれないが、そうしたポイントポイントの艶めかしさと、着物の向こう側に見えるボディラインみたいなものを想像すると、思わず色っぽいな・・・とか思ってしまう。
こうやって書くと、「また女性を性の対象と見て!」みたいなフェミニスト的な目線で文句を言われそうだけど、でもあの曲線美は男にはないものだし、色気っていうのは必ずしも異性に対してのアピールだけではない。
直感的に美しいと感じるものは美しいわけだし、それが女性の体特有のものであればそれを表現することは自然なことである。
冒頭は鏑木清方の絵画が中心に紹介されるが、今回の目玉の一つがこちら。
日本画において、しばしば黒の深さがとても綺麗なんだけど、着物と髪の描き方も違っていて、また表情も現代的な目から見ても十分美人だろう。
背景情報も色々知った上で見ると印象も変わるので、設定にも是非目を向けてほしいところだ。
変わり種だとこんな絵もある。
人魚を描いたものだが、当時は批判の対象だったり、海外の作品で似た構図のものがあったためパクリ疑惑をかけられたり、描いた本人もイマイチと評価していたりとぱっとしなかったらしいが、今に到れば彼の画業においても変わり種のモチーフなので人気の作品の一つのようだ。
パクリ疑惑も、そもそも書いた当時その絵は知らなかったというし、モチーフは泉鏡花の小説だったという話もあるから、芸術においてはいつの時代もこういう話って出てくるんですね。
ちなみに、この人魚の表情はなんだか悪戯なかんじというか、手には魚を握っておりやや怪しげな雰囲気もあり、だからこそ妖魚というタイトルなのだろうか。
この人の美人画はいずれも貞淑な趣があって、個人的にはこういう女性像は好きなので、つい見入ってしまうところがあり、また筆致も繊細なので単純に絵として美しい。
女性にも見てほしい作品群である。
また今回は渡辺省亭展でも展示されていた絵もいくつか展示されていたんだけど、その類似の構図のものも。
役人の妻の浴後の身なりを整える場面の絵で、元ネタは師匠の絵のリメイクである。
この絵に似た構図の作品がいくつか展示されており、ヌードなのでわかりやすくセクシーとも言えるが、個人的には侍女の顔に注目だ。
主役たる妻が美人という役割だと思うが、それと対比させるように明らかに不美人に描かれているのではないだろうか。
面白いというと悪いが、類似構図の作品は甲斐を重ねるごとにそれが加速しており、どこか悪意を感じざるを得ない。
思わず笑ってしまったが、こういうところも注目だ。
こちらは私は初めましての作家がだったのだけど、非常に印象的な絵だったので。
清方の弟子でもあった池田輝方という人の絵で、歌舞伎の演目をモチーフにした作品らしい。
お夏という人が狂気の人となってしまった場面を描いているが、穏やかな表情が却ってリアルだ。
虚な目と半開きな目が心ここにあらず感もあってよいではないか。
乱れた着物と手荷物も全て地面に落として座り込む姿は、現代の街中でも見かける景色である。
演目自体の内容は細かく見ていないけど、実は歌舞伎って現代にも通じる話というから、こういうのをきっかけにまた見てみても面白いかもしれない。
誰か一緒に行ってくれないかな。
そのほかこんな作品も。
みかえり美人という言葉が昔からあるが、こちらは顔も見えていないが着物が半分以上脱げており肩も顕、着物の青も鮮やかで、西洋画の影響も見られる作品で非常に艶めかしい。
この岡田三郎助さんは大学で教鞭もとるほどの重鎮で、黒田清輝の流れにのる西洋画の保守派だったとか。
こちらのタッチの方が馴染みがある人も多いだろうが、ともあれ色々想像も掻き立てられる作品である。
ちなみに、私が日本画における女性画で、見ていて面白いなと思うポイント一つが着物の絵柄だったり色だったりする。
とても艶やかでド派手だったり、色の組み合わせもエキセントリック、また感情や思いを着物の柄に託したような作品も多くあり、西洋画とは違ったファッション的な側面で楽しめると思っている。
実際浮世絵の着物の柄とか、どういうセンスなんだと思う組み合わせも多く、近年原宿系などと言われて世界的にもすっかり有名になった日本のファッションセンス、色彩感覚というのはこの時代からあるものなのかもしれない。
絵自体には興味がなくても、着物の柄という視点で見ても十分に楽しめるはずである。
長くなってしまったので、最後は蒐集家としての彼の価値観を感じさせるこんな絵を。
こちらは日清戦争の風景を描いたという作品らしく、モチーフは蘇州という中国の都市らしい。
街に大きく影を落とすのは戦闘機だろうが、明らかに実際よりも大きく描かれている。
戦争画はそのモチーフ的に絵画的な価値がつきにくいらしんだけど、そういうことじゃなくて、戦争賛美とかそういうことじゃなくて、時代のドキュメントとして戦争画も残しておくべきだ!と福富さんは考えていたようで、別に資産としてではなく、芸術が芸術たるゆえんがどこにあるのか、その視点を持っていたことがとても重要なポイントではないだろうか。
冒頭のポスターにも使われた絵も、モチーフは心中ものらしく、当時はあまり好んで売買されるものではなかったらしい。
いつの時代も表面的なことだけを見て騒ぎ立てる人は一定いたんだろうね。
ともあれ、彼は自分の目を信じて、自分が素晴らしいと思えるものを好んで集めていたというから、文化的な価値を重視する美術館のコレクションとは違う側面が見えてくるのは面白いところである。
実際、全然名前も知らない作家、才能は認められていたのに若くしてなくなったため世に知られることのなかった存在まで、当時リアルタイムだったからこそ出会えた作品をこうして後世に残してきたことは、芸術家にとってもとても意味のある存在だったのではないだろうか。
福富太郎と音楽
そんな彼と音楽を考えてみたが、こんなバンドはどうだろうか。
90年代のUSインディシーンとの交流もあり、そのあたりと音楽的にも通じるところがあるが、歌詞が非常に独特。
時にただコミカルなだけもあるが、指摘で端的な言葉と曲との相乗効果で独特の空間を生んでいる。
商業的に成功しているとは言い難いが、バンドをやっている人で彼らのファンは意外と少なくない。
この動画の曲も、歌詞はほんの数行程度の日本語だ。
だけど、聞いているとなんとも言えない不思議な気持ちにさせられて、色々考えてしまう。
具体的なようで抽象的、シンプルなようでしっかりと奥行きがある、売れる売れないは別にして、自分たちの描く表現を貫いてしっかりファンでもできている。
そんな存在が彼らmooolsである。
余談だが、ヴォーカルの酒井さんは大喜利の強さにも定評がある。
いずれにせよ、売れている音楽が全てじゃないし、周りの評価は一面でしかないというのはどんな世界でも同じである。
まとめ
コロナの影響もあって、開催期間は今月27日までなのでもう直ぐ終了なのだけど、個人の趣味の世界を覗き見る思いで見てみるといいですよ。
日本画、特にそれほど著名でもない人の展覧会にしては今日は人出も多かったのは、単に時勢の影響もあるだろうけど、見にいく価値が十分にありますね。
ちなみに、図録のデザインもキャバレー感があってポップで素敵です。
人生なんて所詮生きて数十年、他人の理解に拘ってみても、そいつらがいつまで生きているかわからないんだし、自分なりに楽しくこだわりを持って生きていけたら、それが幸せなんじゃないかな。
百花繚乱 -華麗なる花の世界
この緊急事態宣言において、いろんなイベントごとも映画館も閉じたまま、美術館もどうなるかと言われたが、中には再会をするところもあって、私にとってはありがたい限りだ。
まだまだ閉館中のままのところは多いが、私が好きな美術館の一つ、山種美術館が時短ながら再開するということで、新しい展覧会も開催されるということで出向くことに。
久しぶりの美術館であるが、事前に調べると流石に混雑もなさそうだったね。
この美術館は恵比寿にあるのだけど、日本画専門も美術館で、その名の通り山崎種二さんという人が設立した美術館だ。
近代の日本画家との交流もあったため、彼のために書き下ろされた作品も多く、有名な画家の作品は概ね見ることができる。
ほぼ収蔵コレクションでの企画展も多いため、以前意味たけど見逃してしまっていた作品も改めて別な文脈で見ることもでき、その都度発見もあるため少しずつでも知識を深めていくにも非常に有用だ。
また大きさもそこまで大きく無いので、じっくりみても1時間もあれば見終えるボリィームもちょうどいい。
私は展覧会のたびに足を運んでいるが、おそらく一番足を運んでいる美術館でもある。
今は花の絵を中心にした企画展を開催している。
百花繚乱 -華麗なる花の世界
【概要】
鳥が謳い、花々が色とりどりに咲き誇る春は、私たちの五感を楽しませてくれます。当館では、この季節にあわせ花の絵画で美術館を満開にする特別展「百花繚乱―花言葉・花図鑑―」を開催いたします。
(略)
本展では、「物語でたどる人と花」、「ユートピアとしての草花と鳥 」、「四季折々の花」という3つの切り口から花を描いた作品を厳選し、花言葉や花の特徴、花を題材とした和歌や画家の言葉とともに、その魅力をご紹介します。満開に咲き誇る花の表現を通じて、美術はもちろんのこと文学や園芸の視点からも作品を読み解きながら絵画をお楽しみいただける展覧会です。
【開催期間】
2021年4月10日(土)~6月27日(日)
出典:【開館55周年記念特別展】 百花繚乱 ―華麗なる花の世界― - 山種美術館
花鳥風月という言葉があるように、昔から美の形容として花はその代表格であった。
多くの画家も題材に選んでいたわけだが、描き方もタッチも変わるので面白いものだ。
個人的見どころ
正直に白状すると、私はそんなに花の絵が好きなわけでは無い。
それこそブリューゲルなどの花の生物画の名手とされる人の展覧会も割とよくみに行ったけど、風景画の方が好きだし、そもそも私は実家も花を飾るような家でもなかったし、なんなら花粉症なので花って苦手なんですよね。
ともあれ、何度も絵としてみていると、やはりそれなりにじっくり見るようにもなるわけで、それなりに楽しめるようにもなるものだ。
山種美術館は日本画専門なので、では日本ではどのように花が描かれてきたのかもみられるのが面白いところだ。
そもそも油絵で描かれることの方が多い西洋画に対して、日本画は画材も違い、それが必然表現の形も異なる。
そこが専門美術館として見る時のおもろしみの一つでは無いだろうか。
特に日本では四季の変化が代名詞だ。
それに因んだ連作も多くあるわけだが、本展覧会の目玉の一つがその四季を描いたこちらだろう。
春は桃色と赤の絵に雉子?を描いた明るい色彩、夏は青白赤と、何より緑も鮮やかだ。
秋葉花は落ちて紅葉の赤が彩っており、冬は雪と小さな白い梅?が彩っている。
その白が際立つように湖面の青が鮮やかで、この辺りの対比が画家としてのセンスだろう。
夏の賑わいも画面から溢れているし、秋の静かになり始めるような空気もいいじゃないか。
作品はかなり大きな絵なので、視界いっぱいに眺めると迫力も素晴らしい。
また、この展覧会で出品数の多い画家の一人が小林古径だと思うが、個人的には彼の絵はみていると不思議な気分になる。
西洋画のがっつりした彩色とそれによる立体感を割と見慣れてしまっているので、彼のあっさりしたというか平板なというか、この絵のタッチは不思議な感覚を与えてくるのだ。
写実性という観点では確かにそうでもないなと思うが、かと言って稚拙なわけではもちろん無い。
独特のタッチというか、そういうものが確かにあるんだろうなと思うわけだ。
それこそ速水御舟の有名な屏風の絵もあるのだけど、そういうある種この浮世から切り離されたような世界観とでもいおうか、そういうものを感じるのである。
そんな速水御舟の作品も展示されている。
この人は不出世の画力と評されるほど非常に高い画力を誇った人で、代表作の「炎舞」という作品は重要文化財にも指定されている。
彼は30歳そこそこでなくなってしまうので、非常に活動期間は短いのだけど、その中でも次々と画風を変化させており、西洋画のタッチも取り入れたり、時期によって絵の雰囲気はだいぶ違う。
私はこの人が好きなのだけど、それは彼の言葉にも現れているがそれはまた別の機会に書くとして、この絵は非常に写実的に描かれた椿の花である。
葉の表裏で明確に異なる濃淡の対比も見事だ。
西洋画のように背景は紙のそれを生かしたままなので、対象だけがポッと浮かび上がったように見えるのも、日本画の特徴だろう。
より近代的な画家では山口逢春などはそうだろうか、西洋画の影響も受けてか、全体にしっかり描きこまれて、かなり立体感も感じさせるタッチだ。
紫陽花を描いた作品だが、こちらも写実性が高く、緻密に描かれた作品だ。
個人的には紫陽花ってあんまり好きな花では無いし、綺麗だと思ったこともないのが正直なところだが、絵として見る分にはいいものである。
従来的な掛け軸に描く花もあれば、こうしていわゆる絵というのか、そうして描かれるものもあって、画材の変化が絵の印象にも影響を与えているのもみて取れて面白いところだろう。
その他にも加山又造、川端龍子、奥村土牛、横山大観といった巨匠と呼ばれる人の絵も展示されているが、個人的に非常に印象的だったのはこの作品だ。
画像が小さいものしか見つからなかったが、明治の女性画家だそうだ。
こうした日本画の中で私が見事だなと唸るのは、まるで一筆書きのような勢いの中に繊細な構図が見えるところだったりするが、こちらの絵はそのラフなタッチもありながら詳細は非常に丁寧に描かれており、そのバランスが絶妙なのである。
鴨もめちゃくちゃ写実的に描かれているし、葉っぱや花も全て緻密なんだけど、しゃっしゃっと肩の力を入れずに描いたようなところもあって、本当に絶妙なんですよ。
うまくいえる言葉がないのが悔しいが、この絵は特に立ち止まってしまったね。
昔はこういう日本画って全然意味がわからなかったし、写真のような写実性のある西洋画の方がわかりやすい驚きがあったけど、絵画という観点でみていくと、日本画ならではの構築美であったり描き方であったりも面白くて、それぞれの文化としての違いを比べてみるのも面白いのである。
日本の花と音楽と
この展覧会を見ながら、どんな曲がマッチしそうかと考えてみると難しいところであるが、他の国ではきっと生まれ得ない、日本独自の美感という観点ではこの曲などはどうだろか。
日本が世界に誇るべきインディーズの伝説、ゆらゆら帝国の”空洞です”。
カルト的な人気を当初から得ており、一度ハマると抜け出せない沼みたいな音楽を展開していた三人組のロックバンドだ。
初期はアングラ臭漂うかっこいいロックだったが、彼らが自ら「完成してしまった」といって解散の要因ともなったのがこの曲だと言われている。
力が抜けて観念的な歌詞、途中ちょっと切ないメロディもあって、ワビサビをここまで感じさせてくれる曲もそうはあるまい。
空洞です、というタイトルもそうだが、歌詞も聴いてみてもらうと一聴すると意味不明だがふとした瞬間に頭を流れてくる中毒性は半端ない。
ラストアルバムはアメリカの、当時世界的に注目されていたDFAというレーベルからもリリースされていたので、ついに世界進出かと期待された矢先に解散してしまったので、なかなかの衝撃だったな。
ヴォーカルだった坂本慎太郎は今はソロで活動しており、ドイツでもライブをやっていたりする。
ともあれ、この空気感は言葉にするのは難しいけど、日本っぽいなとなんとなく感じてしまう。
まとめ
日本画は中国とかそっちの絵を源流にしているものが多いのか、西洋画とはそもそも絵の描き方とか世界観が異なる。
近代になって西洋画の影響もあり、黒田清輝らの尽力もありもはやわけへ立つのもナンセンスなくらいになってきている。
その過渡期にある画家の絵がこの山美術館には多く収蔵されているので、その変遷を感じる意味でも面白いのだ。
今年も花見を楽しむこともできなかったし、家にいる時間が長いので、どうにも心が腐りそうな気持ちがしてしまうが、たまには絵でも見てその世界に浸ることで現実とは違う世界を味わえていいと思うのである。