甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性
最近更新できていなかったが、美術展にはちょくちょく足は運んでいた。
しかし、なかなか文章に起こすのはパワーを使うので、それが出なかったのよね。
そんなわけで久しぶりの更新だが、東京駅直結のステーションギャラリーで開催されている甲斐荘楠音(かいしょうただおと、と読む)という人の企画展。
私は全く知らなかったのだが、大正時代の画家で、いわゆる大きな画壇からは距離を置いていたので知名度は高くないようだ。
こうした割とコアな作家にも焦点を当てるステーションギャラリー、立地の割に攻めていて面白い。
そういえば、前回更新したのもこのステーションギャラリーで開催された佐伯祐三展であった。
こうした独自の活動をした日本人画家を知られる機会はあいがたいことだ。
甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性
この人は画家として活動してたものの、ある時期からは時代劇の衣装などのデザインでも関わっており、実はそちらでの活動の方がキャリア的には目立った実績だったようだ。
【開催概要】
甲斐荘楠音(1894-1978/かいのしょうただおと)は、大正期から昭和初期にかけて日本画家として活動し、革新的な日本画表現を世に問うた「国画創作協会」の一員として意欲的な作品を次々と発表しました。しかし、戦前の画壇で高い評価を受けるも1940年頃に画業を中断し映画業界に転身。(中略)画家として、映画人として、演劇に通じた趣味人として――さまざまな芸術を越境する「複雑かつ多面的な個性をもった表現者」として甲斐荘を再定義します。
【開催期間】
2023年7月1日(土) - 8月27日(日)
出典;https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202307_kainosho.html
絵画だけでなく、彼の手がけた着物衣装なんかも展示されていて面白かったが、何より彼の絵のインパクトが半端じゃなかった。
個人的見どころ
序盤は割と伝統的な日本画だが、早々に個性を発揮し始める。
そもそも画壇のしがらみが面倒になってそうした世界から距離をおいたということらしいので、結構パンクな人だったのだろうか。
こちらは男性か女性か判別しづらいが、耳を真っ赤にしながら口元に毛抜きを当てているが、どうやら少年らしい。
一体どういう心持ちかわからないが、彼なりの美しさの理想があって、それに髭という存在は忌まわしき存在なのかもしれない。
ともあれ、割と日本人画家っぽい作品である。
彼は女性画を多く描いており、特に芸妓さんの絵を多く描いており、また女形に憧れていたとの記述もあったが、女性的な美への憧憬みたいなものがあったのかもしれない。
そんな彼の描いた女性像はどれもなかなかに個性的だ。
控えめな着物に身を包んだ女性の全身像だ。
よく見ると着物の皺の具合など、非常に流麗に描かれているが、何よりこの表情だ。
ちょっと怖い。
この人の描く女性像は、概ね何か裏を持ったような表情をしているが、それがそこはかとなく妖艶だったりする。
私も個人的には女性は男をて手玉に取るくらいの強かさがある方が魅力的だと思っているが、ともあれそんな表現が面白くて仕方ない。
今回の展示の中で随一の存在感を放っていた作品の一つがこちら。
芸妓の偉い方、大夫を描いたようだが、この絵は未完の作品のようで、左下は中途となっており、また本体もどこか制作途中の後を残している。
ともあれこの表情。
妖怪か?と思わず呟いてしまったが、絢爛豪華な頭飾りもともなって、上り詰めて力を得たもののある種の怪物感を表しているのか。
どういう思いで描いたんだろうか。
そして、今回の展示の中で個人的に一番印象的だったのはこちら。
まだあどけなさも残る芸妓さんの躍動感のある踊り、炎を纏ったかのような色使いと、躍動感溢れるタッチ、彼はこうした動きを描くのがとても上手だと感じる。
背景にはうっすらと手の影や着物の影のようなものが描かれているが、これは彼女の影なのか別の何かなのかはわからないが、タイトルは幻覚である。
ラリっとんのかい、という話だが、過剰なまでの目元のアイラインと無邪気なのか邪気なのかわからない表情も伴って、とにかくなんか怖いのだけど、踏み込んでみたら至高の幸福感があるような誘惑もある。
やっぱり表情がちょっと怖いし。
手の動きも足の動きも、全てがうねっており画面の動きが半端じゃない。
しばらく見入ってしまった。
ちなみにチケットに描かれていたのもこの絵だったが、知らない人がみたらやばいお札にも見える。
このような怖い感じの絵ばかりというわけではもちろんなく、このような作品もある。
乳房も露でシースルーな衣装を身に纏った色っぽい女性像だ。
表情は聡明な印象すら受ける。
こうしたすっきりした絵もたくさん絵がいており、彼にとっては女性的な美しさ、というものがテーマだったようだ。
こうした美人画も数多く残しているのでそれらも見どころである。
こちらは割とラフな印象のタッチの作品だが、デザイン的なセンスを感じる作品だ。
男の地味ながら渋い漆黒の着物と、女性の青い綺麗な着物の対比、また相互に背中合わせになっている構図が何かを決心した二人のような心強さがあり素敵だ。
かっこいい。
後に着物のデザインも手がけて評価も確立していくだけあって、その辺りのセンスはさすがということだろうか。
一時映画界で活躍するも、後年は再び絵画の道に戻ったようだ。
彼の生涯の代表作と呼ばれるのは2作あるようで、そのうちの一つがこちら。
実際にあった事件をモチーフにした作品とのことだが、結局未完であったようだ。
全て女性を描いているが、よく見ると顔が描かれていなかったり、全員裸だが着物を描こうとした跡があったりと、まだまだ途中だったことが伺える。
一枚の絵の中でも、中央にはまるで菩薩のように他のものを抱きしめて、ピエタみたいになっているところもあれば、それに縋る人もある。
片や嘆き悲しむものもいるといった具合で、それぞれの物語を表現しようとしたのだろう。
この絵の制作にあたり、作者自身が自分でさまざまなポーズをとって写真に収めて参考にしたらしい。
そしてもう一枚がこちら。
先の作品とは打って変わって、華やかでポジティブな感じの作品、タイトルも『虹の架け橋』だ。
この作品も紆余曲折があったらしく、芸妓さんたちの顔を発表前に書き直したりもしたそうだ。
金屏風も去ることながら、漆黒の髪と派手な着物と、まるでクリムトのようでもある。
元々は別のタイトルだったそうだが、それを後に変えたそうだ。
写実的でありながら明らかに浮世離れしており、不思議な絵である。
と、ざっと気になったものだけを紹介したのだけど、1人の作家とは思えない振り幅がありながら、一貫しているのは女性の美しさへの憧れかなと思う。
本人もある女形の歌舞伎役者さんに「こんなおっさんがなんであんな美人になるの!?」と衝撃を受けたというエピソードもあるそうだが、やはりそうしたものへの憧れがあったんじゃないかなと個人的には感じた。
ちょっと怖い感じで描かれる美しい女性像も、彼の畏敬の念を表したものなのかもしれない。
ともあれ、他にも魅力的な絵がたくさんあり、海外の美術館にコレクションされている作品の展示もあって、また彼が資料として集めたスクラップブック、多くのスケッチも展示されており、絵が完成するまでの過程もみられて非常に面白い展示となっている。
独特の画風だが、彼なりの美学を追求した芸術家だったのだろうなと思う。
お盆の最中で激混みの東京駅にあって、割と人は少なかったので、とてもおすすめのスポットだ。
甲斐荘楠音と音楽と
そんな彼と関連づける音楽だが、こちらはどうだろうか。
日本が誇るNW、パンク、オルタナ系バンド、Plasticzooms。
知る人ぞ知るインディバンドだが、ファッション系のイベントとコラボしたり、海外でも一定の評価を得ている独自のスタンスで活動しているバンドだ。
なぜか一時ロシアでめちゃ聴かれていたらしい。
彼らも元々はバンドでスタートしたが、今はVoのShoのアートプロジェクトのような位置付けになった。
音楽的にもメインストリームではないが、独自の美学を感じるし、時にグロテスクなまでの面もあれば、とてもロマンティックで美しい面もあって、音楽だけでもとても面白い。
こういう美学を持ったアーティストは大好きなんですね。
メインストリームだけが世界じゃない。
まとめ
メジャーではないだけで、日本には今も昔も優れた芸術家がたくさんいる。
今の音楽シーンでも、しばしば「日本の音楽は終わった」などと宣ううやつが後を絶えないが、それはお前が知らないだけだ。
音楽でも絵画でもなんでも、素晴らしい存在は現在進行形で存在している。
何も終わっていない。
終わらせたいやつがいるだけだ。
こういう存在を知ることは、私にとっては興味深いだけでなく、勇気づけられるところもある。
東京では8月いっぱいくらいだが、周りと違うことに悩んでしまう人や、変わってるねとかわかってもないやつに言われてしまって苦しい気持ちになってしまっているような人がいたら、ぜひ足を運んでみて欲しいですね。