パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
現在退職に伴い、ちょっとずつ有給を消化している。
別に会社に行ってももうやることはないのだけど、上司の不手際が満載なので急激に何か降ってきそうで面倒を予感しているが、あえて手を出していない。
どっちにしろ来月から急になんて無理なんだから、せいぜい焦ってくれ。
一応手伝うことはできるからさ、てな。
そんなわけで、休日では混みすぎるだろうと思って上野の森美術館でやっていたモネ展のチケットをとって行ってきた。
が、こんな平日にも関わらず人が多すぎて、ずっと周りに気を使うような環境。
印象派、特にモネの絵なんて近くで見て遠くで見て、そのコントラストが面白いのに、そんなことを楽しむ隙間もないくらいだ。
以前にこの会場でやったフェルメール展も行ったのだけど、その時も酷かったからな。
時間指定なのに溢れすぎて、どれだけ商売っけ出すのかと。
ちなみにチケット代はその時よりもさらに上がっているにも関わらずこの体たらく、そりゃ色々金はかかるんだろうけどさ。
なんかそんなことを思ったら全然楽しめなくて、15分くらいでざっと見てさっさと出てきてしまった。
もう2度とこの会場には足を運ばないだろうな。
しかし、なんか消化不良気味だったので、どうしようかしらと思案した挙句、近くの西洋美術館で開催されていたキュビズム展へ行くことに。
企画展自体も面白かったし、常設展なども同じチケットで見られたので、結果的にこちらの方がはるかに楽しめた。
一応言っておくが、モネの絵は素敵なんですよ。
パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
長いタイトルだ・・・。
それはともかく、キュビズムといえばピカソとブラックが2大巨頭で、その影響を受けた表現は数多。
日本にもいるし、それこそ印象派〜その後みたいな企画では確実に出てくるのでもちろん知っている。
特に著名なピカソの絵に見られるように、子供の落書きとか言われるように、ぱっと見よくわからないというのが正直なところだ。
それこそ専門的なところから引用すれば、色彩についての追求が印象派という動きであれば、形態の追求に向かったのがキュビズムという。
実際あの不思議な絵は、3次元のものを2次元に落とし込むときの一つの方法として開発されたと言われているらしく、確かにそう感じるところもある。
ただ、色々見ているとそれだけでは理解できない世界が盛りだくさんだし、なんならピカソの相方的なブラックの絵はまた違う動機で描かれているようにも感じる。
私にとっては未だ理解できない領域で、まだ抽象画の方が思いを巡らせられるくらいだ。
なので、これを機にちょっとでも理解を深めたかったのだ。
【開催概要】
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかつてないほど大きな変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。
西洋絵画の伝統的な技法であった遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。また絵画や彫刻の表現を根本から変えることによって、抽象芸術やダダ、シュルレアリスムへといたる道も開きます。(中略)
20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを、主要作家約40人による絵画を中心に、彫刻、素描、版画、映像、資料など約140点を通して紹介します。
【開催期間】
2023年10月3日(火)~ 2024年1月28日(日)
出典:
【公式】パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ|国立西洋美術館
キュビズムのよく知られている歴史だけでなく、その影響を与えた、受けた画家なども広く紹介されおり、またそうして広がるにつれて体系化され、ある種の手段になっていくような様が面白くもあった。
ヘタウマとして今や人気画家の一人、アンリ・ルソーも当時はピカソが大きく評価したことで名が知れたらしいが、その因果律も崩壊したような世界観は、確かにキュビズム的な着想に影響を与えたのかも知れない。
改めてみると不思議が絵だしな。
ちなみに結論から言うとやっぱりよくわからなかったのだけど、ともあれ絵画の自由性がますます広がったのは間違い無いだろう。
個人的みどころ
まず歴史を振り返るような展示構成がわかりやすくてよかった。
そもそもの着想の大源流は近代絵画の父と呼ばれるセザンヌだ。
「自然を円筒形と球体と円錐体で捉えなさい」というのは有名なセザンヌの言葉だが、まさに形態的に捉える際の一つの大きな示唆となっており、バウハウスや抽象絵画にも大きなヒントになっているのだから、そりゃ近代絵画の父と呼ばれるよな。
いろんな展示会で必ずと言っていいほど展示されている画家の一人だが、見ていると不思議が感じがするんですよね。
写実的といえばそうだけど、そうでも無いといえばそうでもない。
筆の運びを見ても一定の規則を持っているように見えるので、すごくガチッとした印象もあって、見ていると不思議な感じがする。
また先のルソーも、確かにこの文脈で見ると示唆を与えた可能性はあるなと。
昔テレビ番組の企画で、画家にルソーの模写を依頼するというのがあったが、そこで印象的だったのが「ルソーは難しい、だって下手だから」というコメント。
デッサンが狂っているとかそういう次元じゃなくて、例えば普通陽の光は上から注ぐので、影は下にできるし、一定の方向にできるものだが、ルソーの絵画にはそんなものはない。
上記の絵も、猿がオレンジを食べているらしいが、どうみてもピンポン玉にしか見えないし、生い茂る草も写実的なようで現実的でない。
結果的にだろうけど、空間の空間性みたいなものを排除しているあたりが独自性なのだろう。
それが図らずも大きな示唆になったのだから、何があるかわからないものである。
こちらはジョルジュ・ブラックの作品だが、国内の美術館が所蔵していることもあってかよく見る作品だ。
ブラックは静物画においてはギターをしばしば描くのだけど、端的に言って何が書いてあるのかよくわからない。
ピカソよりもカット&ペーストのような感じで、未だにどう見ていいものか思案してしまう。
形態の再構築というなら、どういう再構築なんだと。
難しい。
こちらはピカソの楽器をモチーフにした作品で、ブラックと画風が似ている一作だ。
ヴァイオリンどこだ?
一つ一つの絵の前でいちいち立ち止まりながら、これなんだ?なにがどうなってこうなった?とずっと頭を捻っている始末。
よくピカソの絵を見て、なんでもいいんだ!という衝撃を受けたみたいな話をする人が芸能人でもいるが、本当にそうだろうか。
もっと強烈な意図があってやっていたはずなんだけど、だとしても何がどうなるとこうなるのかさっぱりわからない。
こうした彼らの活動が徐々に広まるにつれ、さまざまな影響を与え始める。
こちらはファン・グリスという人の作品だが、楽器好きなのかな。
ともあれ、グラスは割とわかりやすく認識できるが、楽器だけは分解されている。
こちらはジャン・メッツァンジェという人の作品だが、この頃になるとよりキュビズム的な手法がより体系的に整理されるようになったとのことで、ある意味では日本画家で言われるキュビズム的な絵画になっている。
ただ、個人的にはキュビズムというよりはセザンヌの提唱した理論を推し進めたような印象を受けた。
言い方は悪いかも知れないが、単に単純化して抽象度を高めたような感じというか。
わかりやすいが、ブラックやピカソが探求したベクトルと同じだろうかと。
もう少し詳しくいらべないとわからないけど、どうなのかなと見ながら思ったものだ。
芸術の世界ではしばしばあるけど、当初は必然であったはずの表現が、いつの間にか様式美と化すような現象とでも言おうか。
いいか悪いかは別にして、そのことにより広がっていく部分もあるので、それはそれとして楽しめるのはあるのだけどね。
ちなみに、便器に『泉』と題して発表したマルセル・デュシャンもキュビズムに影響を受けた芸術家の一人で、実際に絵画も多く残している。
そのほかにも個人的に意外だったのは、彼もその影響下にあったこと。
確かに絵のタッチなんかはその影響を見てとれるが、ある意味では手法的な解析が進んだからこその影響もあったのかも知れないね。
あとは私の知っていた中ではイタリアのモディリアーニなんか影響下にあったというから、やっぱり大きな契機の一つだったことは間違いないだろう。
作品数としてはピカソ、ブラックはじめ、そこからジャンルとして発展させた画家や、その影響の元活動していた画家など多岐に渡り、まさに一つの時代を追っていてとても見所が満載だった。
図録も買ったので改めて自分なりに考えてみようと思うが、少なくとも現時点の私にとってはまだまだよくわからないジャンルである。
でもだからこそ面白さもあって、そうした自分なりの取り組みが絵画に限らない芸術の楽しみ方の一つだろう。
キュビズムと音楽と
そんなキュビズムと音楽というと、こんなものはどうだろうか。
日本が世界に誇るノイズ・トランス・アヴァンギャルドの雄、Boredoms。
元々はハナタラシというただのテロリストみたいなところから始まり、今や世界に数多くの影響をフォロワーも産んだ存在だ。
EYEという人がその中心にいるが、未だに狂ったような音楽活動を展開しており、正直意味不明なものが多いのだけど、不思議と何かの折に聞きたくなってしまう。
まさに衝動性の塊のような存在だが、音楽的に解説してしまうとそれはそれでちょっと物足りない、もはや彼ら以外類似は存在し得ないようなアーティストだと思う。
果たして彼らのピカソやブラックほどの思想なんかがあったかはわからないが、いずれにせよメインストリームではないところで花開いて、いろんな影響や価値観の転換を起こしていたような存在というのは、やっぱりかっこいいよなと思う。
まとめ
私はわかりにくいものに惹かれるところがあるし、自分にとって意味不明なものの方が興味がそそられやすい。
その理由は追求する余地があるからだし、それをどう解釈するかが自分にとっての価値観の発見にもつながるので、それが面白いんですよね。
最近はあまり読まないが、昔は哲学の本を読むのも好きだったのだけど、教科書に乗っているような昔の人がこんなことを言ったとかいう話より、思索的というか、まさに哲学しているような本が好きだったのだけど、同じ根本のように感じている。
キュビズムに限らず、すでに学術的に研究されているジャンルだけでなく、名もない研究も進んでいない芸術家の作品なども、引き続き見ていきたいところだ。