印象派からエコール・ド・パリへ スイス プチ・パレ美術館展
最近あまり書けていないな、と気づいたのでちゃんと書く。
月に何度かはあいかわらず美術館に行っては絵を見てふむふむといっているのだけど、まとめるのがなかなか億劫になってしまっている。
頭の中の休養のような感じで観ているので、言語化にいたらないのかもしれない。
下書きのままの記事がいくつか眠っている。
とはいえ、きちんと吐き出しておかないと、やはり自分の中に残らないのはなんでも一緒だ。
少し前のものも含めて書いていこう。
印象派からエコール・ド・パリへ スイス プチ・パレ美術館展
私のよく行く美術館がいくつかあるが、SOMPO美術館はそのうちの一つだ。
新宿のど真ん中にあるが、繁華街からは外れているので比較的静かな区域。
まぁ、ビジネス街だから休日は特にね。
その名の通り保険のSOMPOさんのもつ美術館でゴッホのひまわりを所蔵していることでも有名だ。
ここの企画展が毎度素晴らしい。
日本で人気といえば印象派の絵画で、上野辺りはよくゴッホ展なんかも含めて開催している。
このSOMPO美術館も前回も今回も印象派辺りを中心にした企画展ではあるのだけど、王道的なラインナップからちょっと外してくるのよ。
前回は印象派後期の、新しい時代の絵画から一つのスタイルとして確立された頃の代表的な画家2人に焦点を当てたもので、私は初めて観る人たちだった。
シダネルとマルダンという2人だが、いずれも綺麗な絵で、こんな人たちがいたんですね、なんて思ったものである。
そして今回も印象派が中心だが、かなり多様な画家を紹介している。
【開催概要】
スイスのジュネーヴにあるプチ・パレ美術館は、19世紀後半から20世紀前半のフランス近代絵画を中心とする豊富な美術作品を収蔵しています。(中略)世紀転換期のパリでは、多くの画家たちが実験的な表現方法を探究し、さまざまな美術運動が展開されました。プチ・パレ美術館の特徴は、ルノワールやユトリロなどの著名な画家たちに加え、才能がありながらも、あまり世に知られていなかった画家たちの作品も数多く収蔵していることです。本展では、この多彩なコレクションから38名の画家による油彩画65点を展示し、印象派からエコール・ド・パリに至るフランス近代絵画の流れをご紹介します。
【開催期間】
2022.07.13(水)- 10.10(月)
今回はスイスの美術館から拝借した企画展ではあるのだけど、概要にもあるようにルノワールなど人気作家だけでなく、あまり知られていない人の作品も同じくらいのボリュームで展示されており、時代の変化に合わせて変遷も見られるのが面白い。
印象派からキュビズム、エコール・ド・パリへと作風の変化を見るのが絵画史的な観点からも興味深い。
中心的なスターばかりでなく、その周辺にいた人たちが中心だからこそ、却って時代間もでているように思う。
意地悪な見方をすれば広く浅いとも言えるが、それをもとに何を見せるかが企画である。
私は知らなかった画家がたくさんいたのもあって、非常に楽しめましたね。
個人的見どころ
構成は印象派から始まるわけだが、そこでも有名がかよりちょっとその脇のような画家たちが登場する。
まあ、その言い方も失礼なくらい著名な人たちではあるけど、大きな展覧会で主人公にはなっていない画家たちだ。
だからと言ってダメなわけでは全くな意図いうことは一応言っておこう。
こちらはカイユボットの作品。
遠くから見ないとよくわからないというザ印象派というタッチではなく、中間的な印象の作品だが、とりあえずこの子が可愛くない。
それはともかく、顔の描き方と服の描き方が随分タッチが違うのが面白いところだ。
私は彼の作品はアーティゾン美術館に所蔵されているピアノを弾く男のイメージしかなかったので、なんだか新鮮だ。
少なくとも日本ではあまり注目されない画家も出てくるのがこの展覧会のいいところで、なによりSOMPO美術館への信頼である。
続くは新印象派ということで、主に点描画家の作品を中心に紹介している。
点描といえば代表作はジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』という作品だが、この技法の絵について思うのは時間が止まったような印象だという事。
当代の画家では、わかりやすいのはゴッホだが、イキイキとした躍動感みたいなものがしばしば印象的なんだけど、この作風についてはそうでない。
それが何に由来するかはなんともだが、一つは無数の点により表現されるので、その事による画面自体の流動性の断絶によるだろうか。
こちらはアルベール・デュポワ=ピエという人の『冬の景色』という作品だ。
私は雪景色の絵画って好きなんだけど、冬のもつ雰囲気と点描という技法は実にマッチしているように感じる。
他にもたくさんの作品が展示されているので、それらをまとめてみられるのもを面白い。
次の章はナビ派、代表的な作家はピエール・ボナールやモーリス・ドニか。
私はなぜかボナールの絵が好きで、昔六本木で行われたボナールの企画展には珍しく2回も足を運び、図録も買い、今でもたまにペラペラとめくっている。
西洋絵画といえば写真のような立体感が特徴的なものだが、彼らは日本の浮世絵にも強く影響を受けており、平面的な絵を描いたことで有名である。
色彩もサイケデリックで浮世離れしているが、その独特の世界が実にいい。
が、今回はボナールの絵はなかったが、ドニの絵はいくつかあり、そのうちの一つは大きく展示されていた。
それが画像の『休暇中の宿題』という作品で、全体に赤みがかった色合いが印象的な作品だ。
彼は親密画家などと呼ばれたらしく、パーソナルな空間の描き方が非常にうまかったと言われるそうだ。
彼は2回結婚しており、この絵は最初の奥さんとの間の子供との時間を描いたものだそうな。
全体的に穏やかな表情の人物たちが印象的である。
続くはフォービズム、ブラマンクやマティスといった作家が代表的な存在だが、そうでない人たちも多く紹介している。
その中の一人が、ルイ・ヴァルタという人なのだけど、この人の作品が個人的にはかなり刺さった。
画像のものが『帽子の被った女の肖像』という作品だが、絵も言われぬ不気味さがある。
無表情でこの世のものとは思われない色白い顔も、なんか気持ち悪いんだけど、でも妙に見てしまう。
他にも何点か展示されていたが、いずれも独特の世界観を持っており、個人的には大きな発見の一つだった。
ただ、この章で1番印象的だったのはこの作品。
アンリ・ギャマンという人の『室内の裸婦』という作品なんだけど、いわゆる構図というやつがドンピシャに私に刺さった。
言葉にするのが難しいんだけど、真ん中に女性がいて、その足先の配置や周囲のものの配置含めてこの感じすっごい好き、と感じた。
絵画は、現実の世界を写真のように映し取るだけじゃなくて、画家のセンスにより再構築されて表現されるものなわけだが、その際に重要になるのが構図というやつだ。
何をどう配置するかというのも画家の腕の見せ所な訳だが、この絵の構図がバチッと私にはハマったのだ。
なんか好き、という以外の言葉が見つからなかった。
有名でない、あるいは紹介される機会が少ないからイコール作品が劣るわけではないという好例である。
しばらく見とれてしまった。
続くはキュビズム、代表的な作家は言わずと知れたピカソとブラックだ。
技法的に非常に特徴だっているので、個人的にはともすればその技法だけが一人歩きしやすいジャンルだと思っていて、実際そうなっていると思った。
その表現の根本はセザンヌによる構築理論に端を発すると言われており、のちの抽象絵画やバウハウスなどにも連なるきっかけを作った考え方を下敷きにしているのだろうけど、個人的にはよくわからない世界だ。
抽象絵画はちょっとわかるところもありそうとは思うけど、キュビズムってその思想はわかるけど、表現としては形骸化しやすいんじゃないかと偉そうに思えてしまうジャンルだ。
私は正直あんまりわからないジャンルである。
ただ、原初の考え方みたいなところはなるほどと思うので、ジャンル的に異論なく不雑性を孕みやすいなんだろうなと偉そうに思ってします。
最後の章はエコール・ド・パリだ。
日本人でありながらフランスで圧倒的な名声を手に入れた藤田嗣治などが活躍した世界である。
この頃になるとある種洗練された感じもあり、おしゃれだなと感じる。
それこそ藤田の個展も上野で開催された際に行ったのだけど、私は同世代であればキスリングの作品が妙に好きである。
こんな感じの女性画が代表作と言われるのだけど、ぱっと見怖い。
私は東京都庭園美術館で、たまたま気まぐれで行った時に彼の個展が開かれていてそこで初めて見たのだけど、やっぱり最初はなんて不気味な絵なのかしらと思った。
だけど、見終わる頃にはその独自性に取り憑かれており、図録を買って今でもしばしば眺めている。
昭和の化粧品広告のような匂いも感じるけど、ある種美的なものをひたすらつきゅうするような、耽美的というんですかね、そういう世界観がなんかいいのですよ。
今回の企画展の目玉的に展示されていたルノアールの作品よりもはるかに魅力的に映ったものだ。
キスリングだけでなく、私が気になったのはこちら。
ジョルジュ・ボッティーニという人の『バーで待つサラ・ベルナールの肖像』という作品。
当代の有名女優さんだったらしく、他の多くの画家も彼女を描いたとか。
絵で見てもとても綺麗な人だったんだろうなと思うが、何より目線とちょっと窄めた口元がなんとも魅力的である。
私は大人な、ちょっといたずらな感じの女性大好きなので、こういう絵ってつい見入ってしまう。
そのほかでも気になったのはこちら。
テオフィル=アレクサンドル・スタンランという人の『純愛』という作品。
ロートレックのようにポスターなどで活躍した人らしいが、こういう光と影の中の影を感じさせる作品に妙に惹かれてしまう。
ドガやロートレックはキャバレーなどの人の欲望の渦巻くような世界を中心に描いていたことで有名だが、常に暗いものがちょっとだけ描かれているような空気感がたまらないんですよね。
この絵画も男の顔よ。
まあ、そう見えてしまうだけなのかもしれないけど、なんかいやらしい。
路地裏の暗い通りで接吻を交わす男女、男も裕福とはおもえない出立ち、女も地味ではあるが、男ほどではない。
それゆえに純愛感はあるけど、ドラマのようなキラキラ感がないのがいい。
喧騒の間に見えるかすかな影、それは不安を表しているのかもしれないけど、そういう混在した空気ってなんかいいんですよ。
今回展示はなかったけど、ロートレックの絵もそういう影みたいなものが常にあって、だから妙に好きなんですよ。
と、印象派から始まってエコール・ド・パリまで時系列での展示になっているのだけど、技法的な変遷と合わせて時代的な空気感も感じられて、非常に面白い企画展でした。
プレ・パレ展と音楽と
今回は海外の美術館の所蔵作品展ということでチョイスが難しいが、そのミクスチャー感覚と時代性を感じるという意味でこちらはどうだろうか。
UKの現代のポストパンク系代表格、The Horrorsの"Sea Within a Sea"。
80年代のNW、ポストパンク的なエッセンスをふんだんに散りばめつつ、90年代的のThe Stone Roses的なものも感じさせるUKのオルタナを詰め込んだような存在のバンドだ。
デビュー版は怪しげなパンク色強めな音楽から、最近はサイケデリック〜インダストリアルまで取り込んで、過去のリファレンスを感じさせながら独自のものに昇華している存在だ。
当代の音楽が大好きな私のような奴にとってはたまらないバンドだろうが、ある程度音楽を聴いていないとピンとこないかもな、という意味でこの企画展にもマッチしそうかなお思ったがいかがだろうか。
まとめ
時代は連綿と続いており、ある瞬間の出来事がのちの世界に繋がっているのはこの世の中の在り方だ。
それは音楽でも絵画でも政治でも同じで、別にいつの何が正解というわけではなく、続いている世界の中で自ずから示されていく世界だ。
それぞれの世代でスタートなる人がいる一方で、影の役者として密かに時代を紡いだ人たちが大半の世界だ。
そういうものを感じさせてくれるだけで、こういう企画展は圧倒的な価値がある。
まだ始まって間もないのに人が少なかったが、ぜひ印象派とか藤田とかが好きな人は、見入ってほしい展覧会である。