美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

マリー・ローランサンとモード

現代は女性の時代などと言われて久しいが、得手してスローガンにされる事柄は実現されていないからこそスローガンとなるものである。

当たり前になっていることは殊更いう必要なんてないからね。

 

それでも、昔と比べればだいぶマシになったところはあるにせよ、いまだに化石みたいな世界は存在している。

 

残念ながら芸術の世界はまだまだそんな感じで、おっさん連中が権力を持っているので若い女性アーティストにセクハラしまくっているということで、書籍なんかも出ている。

 

男の考えることってのは金を持っていてもいなくても、どこまで行ってもエロいことしかないらしい。

 

そんな世界なので、女性が本当の意味で才能を発揮できる環境というのはまだまだ稀有なのかもしれないが、どんな時代にも突き抜ける人というのはいるもので、印象派がよに出て少し経った頃にパリで活躍したのがマリー・ローランサンだ。

 

私は同時代の画家の展覧会で何度か見たことはあって、ピンクとグレーの淡い色合いが印象的で、一度まとまった展覧会が見たいわ、と思っていたのでまさに好機である。

 

【開催概要】

ふたつの世界大戦に挟まれた1920年代のパリ。それは様々な才能がジャンルを超えて交錯し、類まれな果実を生み出した、奇跡のような空間でした。とりわけ女性たちの活躍には、目を見張るものがありましたが、ともに1883年に生まれたマリー・ローランサンとココ・シャネルの二人は、大戦後の自由な時代を生きる女性たちの代表ともいえる存在でした。

女性的な美をひたすら追求したローランサンと、男性服の素材やスポーツウェアを女性服に取り入れたシャネル。本展では美術とファッションの境界を交差するように生きた二人の活躍を軸に、ポール・ポワレジャン・コクトーマン・レイ、そして美しいバイアスカットを駆使したマドレーヌ・ヴィオネなど、時代を彩った人々との関係にも触れながら、モダンとクラシックが絶妙に融合する両大戦間パリの芸術界を俯瞰します。

時代とともにありながら、時代を超えた存在となったローランサンとシャネル。二人の創作の今日的な意味とその真価が、生誕140年を記念するこの展覧会で明らかになるでしょう。

本展では、オランジュリー美術館やマリー・ローランサン美術館※など国内外のコレクションから、約90点のラインナップでご紹介します。

【開催期間】

2023/2/14(火)~4/9(日)

参考:

www.bunkamura.co.jp

 

なんとシャネルの創業者、ココ・シャネルとも親交があり、彼女の絵も残している。

 

ただ、ライバル関係というか、友人的な関係というよりはちょっとばちばちしたところがあったようだ。

 

すごい時代である。

 

個人的みどころ

私は画家のイメージしかなかったけど、ファッションの分野でも服のデザインや、バレエの衣装のデザインなども手掛けていており、その作品がおしゃれ。

 

絵自体も非常に特徴的で、ポスト印象派的な平面的な構図の中に、当代のキュビズムやフォービズム的な風味もあるように思う。

 

また、私はキスリングって好きなんだけど、顔の表情なんかは通じるところがあるように思うものの、調べたが知り合いくらいの情報はあるが、作品への影響についての言及は見当たらなかった。

「ココ・シャネル嬢の肖像」

こちらがシャネルの創始者肖像画、2人は同じ年に生まれたようで、こうして絵も残っているならさぞ仲良く切磋琢磨したんだろうと思いきや、シャネルはこの絵がいかにも女性的に柔らかな印象で描かれており、自身のイメージと違うから描き直せ、と要求したとか。

 

対するローランサンも負けてはいない、ナメたこと吐かすなとそれを断ったという。

 

それ以来2人の仲は断絶したままお互いの生涯を終えたとか。

 

こともあろうにローランサン、シャネルに対して「あんな田舎娘」などと毒付いていたというが、一方で生涯シャネルの服を愛用していたということらしい。

 

認めるところは認めていたんだろうし、似たもの同士が故に反発するような、そんな2人だったのかもしれない。

 

 

彼女は女性画ばかりを残しており、彼女に肖像画を描いてもらうことが一つのステータスでもあったようだ。

 

いくつか描かれている1人がこちら。

「黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人の肖像」

そのきっかけとなったのがこちらの絵とのことだが、日本では昔のノエビアのCMを思い起こさせるような印象と思ったのは私だけだろうか。

 

ともあれ、どちらも表情が少し虚ろというかなんというか、クリムトの女性像のようなある種の神々しさとは異なるが、そこはかとなく神秘的に感じる。

 

それまでの写真のような肖像画よりも、ある種抽象化されたところもあるので、貴族のブランディング的な意味では効果的だったのかもしれない。

 

 

ちなみにこちらは自画像。

「わたしの肖像」

全体的に言ってそんなに明るい絵を描く人ではないという印象だけど、それにしたってもう少しイキイキ描いても良さそうなものを。

 

とはいえ、ピンクのお召し物に緑の髪飾りと、ポイントポイントでは華やかさは忘れない。

 

画家の描く自画像は、得手して自分の内面を描くような作業と言われるが、男性作家(とひとくくりにしていいかわからないが)に比べればナルシシズムのようなものは感じない。

 

「ヴァランティーヌ・テシエの肖像」

こちらもどこぞの貴族の肖像画だろうが、なんだか鼻持ちならない気がするのは私固有のバイアスだろうか。

 

ともあれ、こうしたブルジョワジー肖像画においては犬がよく登場している。

 

今でも金持ちの令嬢、もしくはマダムはやたら犬と共に映りたがるが、それは時代を超えた普遍性なのだろうか。

 

ともあれ、独特の色彩感覚と、犬の優しい表情が印象的である。

 

 

彼女は絵画作品に限らず、舞台やバレエの衣装なども手掛け、幅広く活動していた。

バレエ「牡鹿」挿絵

牡鹿というバレエ作品の衣装を手がけており、こちらはその本?の挿絵のようだ。

 

元々ファンタジックさもあるので、こうした作品との相性もいいのだろう。

 

私は普段あんまろファッションとかって見ないんだけど、こういうところで見ると舞台衣装なんかも面白いよね。

 

色々のコンセプトだったりテーマだったりを思いながら見るとなるほどなと、思ったり思わなかったり・・・。

 

しかし、画風というかここまで自分の作風を立ち上げている人ってそう多くないだろう。

 

上手い下手とは違い世界に存在している。

 

彼女はマティスとまさかのアンリ・ルソーにも影響を受けたというから、そのためと言えるかどうかわからないが、現実と絵画世界を切り離す視点の参照点になっているのかもしれない、とか思ったり。

 

 

元々ジョルジュ・ブラックの弟子筋になるとのことなので、キュビズム的なタッチも取り入れている。

「優雅な舞踏会(田舎での舞踊)」

キュビズムといっても、例の訳のわからん構造だけを取り出したような物とは違い、部分的に取り入れている程度だ。

 

風味だけという感じだけど、輪郭線をしっかりと描くのはまさに以降の作風といえるか。

 

いくつかこうしたタッチの作品を残しているが、直線よりも曲線の構成が印象的である。

 

この人絶対頑固者だろうなと勝手に思っているが、そうでなくては生き残れなかっただろう。

 

 

生きている時から割と商業的にも成功していた画家だったので、装飾品としての絵画も多く、こんな絵も描いている。

「鳩と花」

花と鳩がシームレスに連動したようなデザイン性が実におしゃれ。

 

彼女の絵は全般的に言って洒落ている。

 

家に飾るならどんな絵がいいかと聞かれたら、この人の絵なら気持ちよく飾れる。

 

ちなみにこちらの画像はちょっと色調が鮮明すぎるが、実物はもっといい感じに鮮やかで素敵だ。

 

 

ローランサンは結婚したのだけど後に離婚、その後はバイセクシャルということも隠さずに生きていたとか。

 

なんというか、正しい表現かわからないが、非常に現代的な女性だったのだろうな。

 

ある伯爵夫人とは非常に仲が良かったというが、その仲はただならぬものだったそうだ。

「鳩と二人の女(マリー・ローランサンと二コル・グルー」

ニコル・グレーという女性で、彼女も結婚して子供もおり、子供たちとの肖像も描いている。

 

こちらはそのグレーとローランサンを描いたもので、グレー婦人が絵を描くローランサンを背後から覗き込むような構図になっている。

 

自信を色味のないやや暗い色相で描き、対する婦人は華やかだ。

 

彼女自身の自己認知はどう言ったものだったのかということもちょっと気になる。

こちらがローランサンの肖像、ポージングもしっかり決めて、あえて目線をこちらではなく別な方に向けている。

 

この写真だけだと気取りやのように見えるが、他の写真では飾りっ気なく写っているものも残されている。

 

ある種のらしさを拒否するような態度をこうしたところにも感じるように思う。

 

強い女性という言葉で語られるかもしれないが、その辺りの価値観って実は今と変わらないのかもしれない。

「ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン」

こちらが先にも触れたニコル婦人とその娘ちゃんの絵。

 

頑固者だが他人の幸せを妬んだりはしない、そんな気持ちのいい人だったのかなと思ったりもする。

 

それこそゴッホなんてその権化だと思うが、自己表現としての絵画が中心となっている中で、どこかそうしたエゴとは距離をとったような印象があって、純粋に自身のスタイルや自分なりの美学を貫いているように感じられる。

 

私はエゴの塊みたいな作品って大好きなんだけど、こうした独自の世界で生きているんだなと感じるものも等しく好きである。

 

 

その他の作品も、女性の絵をやはり多く描いている。

「ばらの女」

モード系って感じ。

 

モダンガールという価値観も生まれた当時の世相を反映するような、性的な意味ではない挑発的な雰囲気も感じる絵だ。

 

「羽飾りの帽子の女」

こうした帽子を被った女性の肖像画も多数残している。

 

貴族層の正式な場でのファッションでは、帽子は正装の必須アイテムだったそうだ。

 

この辺りの絵であれば、今のアパレル業界でも全然通用するセンスではないだろうか、とセンスのない私は思うがどうだろうか。

 

展示会では当時の衣服も展示されており、普通にもし彼女がきていたらおしゃれやんと思う服もあって、本当の意味での美観というのが時代を超えた普遍性があるのではないかと思ったものだ。

 

 

私はどちらかと言えば女性という存在をリスペクトしているし、基本的に愛おしい存在として認識している。

 

女の人の方が頭いいし、賢くて芯のある女性はやはり素敵だなと思う。

 

また服装なんかを見ても、やはり女性の方がバリエーションも豊かで、元々の体の起伏も飛んでいるのでシンプルに美しいと感じる。

 

ジェンダーだったりLGBTQだったりといった視点が知られる中で、生まれ持っての身体に紐づく性が否定されがちだけど、やっぱり女性的な華やかさだったり美しさってあると思っている。

 

日本的な女性らしさという価値観は違うと思うが、それは持って生まれた才能みたいなものだから、否定できないんだよな。

 

もちろん反対に男性的な美だってあるわけで、そういったことは個人的には否定できない。

 

その種の議論はここではさておいて、シンプルに華やかで綺麗な展示が多いので、そうした美的なものが好きな人にはおすすめだ。

 

会場は女性客がいつになく多く、若い女の子たちも「可愛い!」とかいいながら展示を見ているのがよかったね。

 

普段絵は見ないという人でも、シャネルの服なんかも飾られているので、何かのきっかけになるといいなと思いますね。

 

ローランサンと音楽と

そんなローランサンと音楽を紐づけようとするわけだが、こちらなんかどうだろうか。


www.youtube.com

現代のオルタナアーティストの代表格の1人と言っても過言ではない、St. Vincent。

 

ギターの腕前はあのKing Crimsonロバート・フリップに比肩するとも言われるほどだが、ステージの見せ方や独自のファッションセンスなどは他に類を見ない。

 

Talking Headsのデイビッド・バーンとのコラボアルバムもリリースするなど、いわゆるアートロックの界隈で知らない人はいないだろう。

 

昨年のサマソニでも来日しており、私はThe 1975を差し置いて彼女を見に行った。

 

ライブもシアトリカルで舞台装置も凝っており、派手なファッションながら男目線で言えば露出の割にエロさを感じない。

 

セクシーではあるが、ちょっと違うのである。

 

どちらかといえば女の子の憧れる女性像の1人ではないだろうか。

 

女性らしい華やかさが全開にありながら、性的なところに収斂せず、だから彼女を男に媚びているみたいな評価をする人はあまりいないのではないだろうか。

 

そんなつまらない視点が置いておいて、その存在そのものが芸術であるようなあり方は、すごいことである。

 

まとめ

何かと価値観が錯綜する時代にあって、変なところに気を遣わねばならず、却って本質が歪められがちな世の中だが、いつだって残るのは信念のあるものだけだ。

 

実は現代的と思ってしまう視点自体、既にバイアスがかかったものなんだなと自分自身感じるところだ。

 

本当の意味でフラットな世界はまだまだ先だろうが、少なくともその世界観の中では独自に生きている。

 

そういう人って、いいですよね。