美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

「沖縄復帰50年と1972」「近代日本のメディアにみる怪異」

 

昨日はふとネットで見かけた『近代日本のメディアにみる怪異』という企画展へ。

 

ポスターで浮世絵が使われており、それこそ昔はこの浮世絵がニュースメディア的に使われていたというのがあるため、そんなものを期待していた。

 

またタイトルも,私はメディア系の仕事もやっているので興味をそそられてしまった。

 

場所は日本大通りにあるニュースパークというところで、ここもいったことがなかったので、これを機会に行ってみようと。

 

電車に揺られて1時間半くらいだったが、こうして方々へのアクセスが良いのは東京で暮らす楽しさの一つである。

 

 

沖縄復帰50年と1972」「近代日本のメディアにみる怪異

あんまり調べずに行ったので知らなかったが、同時開催ということで沖縄の本土返還50周年の記念企画展も開催していた。

 

このニュースパーク自体、新聞博物館というのが正式名称なので、そうした資料もたくさんあるんですね。

 

加えて、50 年前のまさに今日沖縄が返還されたとな。

 

すいません、不勉強でした。

【開催概要】

「沖縄復帰50年と1972」は、今年5月15日に沖縄の日本復帰50年を迎えるにあたり、沖縄タイムス琉球新報を中心に地元紙が復帰をどう伝えたか、当時の紙面と写真で紹介します。(中略)展示資料は約100点です。このほか、ホワイエでは、2018年に企画展「よみがえる沖縄1935」を共催した朝日新聞社による沖縄復帰を捉えた写真を、前後期で25点ずつ展示します。

「近代日本のメディアにみる怪異」は、妖怪、幽霊、超常現象などの「怪異」について、明治時代以降の新聞がどのように伝えてきたのか、所蔵資料を中心に約110点展示します。(中略)歴史の記録者である新聞は、当時のニュースとともに各時代の怪異の姿、人々の思いを伝えていました。困難な時代を信仰やユーモアで乗り越えようとした、当時の人々の思いに触れていただく展示です。

【開催期間】

前期:4月23日(土)~6月26日(日)
後期:6月28日(火)~9月4日(日)

出典:企画展「沖縄復帰50年と1972」「近代日本のメディアにみる怪異」を同時開催 | 企画展 | ニュースパーク(日本新聞博物館)

 

 

まずは怪異展について。

 

結論から言うと、企画はいいけど展示内容が充実していたとは言い難い。

 

幽霊や妖怪の類について新聞がどう報じていたか、というのが本筋としてあるかと思いきや、それはかなり断片的だし、基本パネル展示メインで浮世絵などは一切ない。

 

当時の新聞の切り抜きなどの展示はあるのだが、印刷が悪く文字も判読できない。

 

あるいは昔の新聞なので、旧漢字や文章自体が漢文のようなので、

 

せめて肝になる記事だけでも、写しとかあるとそれだけでも内容がわかるだけで企画展の意味も増すと言うところだと思うが。

 

 

他方で面白いなと思ったのは、単純に昔の新聞記事や掲載されている広告である。

 

記事については、ちょうどスペイン風邪と言ってインフルエンザが大流行した時期のものがあって、そこには神頼みなぞせんとワクチン打て、といった医師の啓発記事が。

 

今のコロナの環境と比較される出来事ではあるが、正直今よりもよほど合理性を求めた記事のように思う。

 

100年以上前の話だが、科学の進歩に人は追いついていないらしい。

 

余談だが、スペイン風邪っていかにもスペインから始まったように思われるが、実は他の国で先に流行が始まっており、スペインには後から入ってきたのだが、色々と軍事的な衝突もある頃で他国では情報統制がされていたことで単に公表されておらず、スペインはそれはなかったので最初に報道した格好となったことで不名誉なことに名前を冠されることになったとか。

 

 

また、他方では晩婚化の記事も。

 

男女共に結婚年齢が遅れているといるという統計を紹介している。

 

言うても今よりは若いのだけど、文明開化して、社会構造が変化したことによるもので、記事でも致し方なしといった解説も載っている。

 

程度の差こそあれ、本質的には同じような事象を繰り返しているようだ。

 

広告については、梅毒の薬やワイン、赤玉とか白粉とか、多様で面白かったね。

 

基本的にはテキストメインの広告だが、ちょっとしたあしらいなどに近代のデザイン性の向上につながるような思いだ。

 

 

本編に戻ると、かつては東京大学主席合格をしたような人が、当時まだ世に蔓延っていたオカルトを否定して、そうした事象を全て科学的に解決したろ、といった動きをしていた人もいたんですね。

 

読売新聞で妖怪の紹介コーナーがあったくらいなので、割と日常的にそうした報告なりがあったのだろう。

 

今となっては東スポくらいしかそんな情報が掲載された新聞はないが、意外と伝統的なコンテンツであるらしい。

 

そうして科学的に〜という人に対して、今度は別の人が、そんなことあえてせずに趣味の領域だから放っておいてあげたらどうか、といった言説も上げるようになるのが面白い。

 

宗教も同列で語られているあたりがなんだか日本っぽいなと感じるが、そうして楽しんでいる人がいるのだから、躍起になって否定せんでもいいじゃないかというのだ。

 

なんだか懐の深さを感じるし、当時の人の価値観って存外そんな感じだったのかな。

 

今では否定しないと気が済まない、型に嵌めないと気が済まない、白か黒か言わないと気が済まないといった具合に、どんどんあそびの余地をなくすような動きが多くなっているが、それって趣味なんだか好きにさせてあげようよ、と新聞が論じるのが面白いなと感じる。

 

少し話は違うけど、最近ではマスクを屋外で外していいかどうかといった議論があるらしく、それをわざわざ政治家がいう訳であるが、それに対して市井の反応は「ちゃんと決めてくれ!」「個人の裁量に任すなんて無責任だ!」といった声が少なからずあるらしい。

 

なぜ自分から自由を手放そうとするのかわからないが、やはり世の中には一定の割合で自分で意思決定できない人や、臨機応変に対応できない人、自分ルール以外知らない人と、さまざまな人があり、どうもそういう人に限って声がでかいという特性があるので、でかい声で僕たちを縛ってくれ!と叫んでいるわけだ。

 

まあ、そういう人はどんな場合にも自分以外のところに責任を求めたいだけなのだどうから、何をどうしようとあまり関係ないように思う。

 

ともあれ、時代を経て人は進化したんだろうかと考えてみると、本質的に人は進歩していないし、なんなら自分でやらなくても暮らしていける環境がでてきた分、ダメな奴は増えたんだろうな。

 

最近格差が拡大しているとか言われて久しいけど、当たり前だよなと思う。

 

その辺りはまた機会があれば、別なところで書こう。

 

かなり展示自体が少なかったので、15分かそこらで見終わってしまった。

 

入場料400円なのでそれに期待するなと言わればそれまでだが、別に1000円でもいいからしっかり金とって、その分見応えのある展示をしてくれたら、今回に限らずまたこの施設自体のリピーターにもなるのにな。

 

 

そして同時開催の沖縄展だが、こうして写真で残っているものと、当時の新聞を並べてみながら時代を見ていくと、その紙面はいずれも歓迎ムードといった感じだったんですね。

 

そりゃそうなのかなと思いつつ当時の時代がわからないから、当事者たちが何を語るかというのがあるともっと面白かったのではと思いつつ。

 

ただ、新聞というある意味では第3者的な視点で追っていくのはそれはそれで大事なものなんだろうな。

 

終戦後にアメリカに併合されて、通貨を円からドルに交換させられたり、逆に返還の時にはドルを円に交換するという動きもあったのだから、当事者の人たちは大変だったろうね。

 

こちらでも広告が世相を反映しており、今でいうJTのたばこの広告とか、日産だったかの車の広告、銀行の広告など、なんだかわかりやすく時代の変わり目を表現しているようで面白い。

 

ちなみにタケダ製薬の広告では女優の原沙織さんがでており、その上には緊張感あふれる記事が展開されている。

 

常にどこか他人事なメディアという存在は、その後今に至るも一定の権力を持ってきたのはそれはそうだったんだろうなという気もするよね。

 

ともあれ、50年経っても解決されていない問題もあるだろうし、本質的に何かがわかったのかなとこういうのをみると考えさせられますね。

 

展示の下はこちらの方が、記事の抜粋もあって丁寧な印象でしたね。

 

メディア展と音楽と

さて、今回は特定の事象や人物というよりはその周辺的なものを切り取っているので、ちょっと難しいところである。

 

どうしたものかと考えたが、こちらなどうだろうか。


www.youtube.com

God Of Technoと呼ばれるご存じクラフトワーク、そのキャリア終盤のアルバム『The Man Machine(邦題:人間解体)(1978年)』に収録された"The Robots"。

 

全て打ち込みで音楽を作るというスタイルで新たな地平を作った彼らの音楽活動は常にテクノロジーとも隣り合わせだった。

 

このすぐ後のアルバムでは、当時劇的に進化し始めていたパソコン(計算機という方がしっくりくるかもしれないが)をモチーフにしたアルバムで、そのうち人間の能力を機会が上回っていくんじゃないか、なんていうサイエンスフィクションチックな危機感を抱いていたのだが、そのアルバムが出る頃にはある種それが現実になっていたなんて話もあるらしいが、当時の進化は等時代に生きていた人たちにとっても劇的なものだったんだろうね。

 

それを経てこのアルバムは、全体的に暗いというか不気味というか、それまでの明るく楽しいダンスミュージックといったイメージだったところから一転した作風は当時にも色々物議だっただろう。

 

アルバムタイトルも、ビジュアルアートも含めて人間が機械に置き換わっていく世界を描いている。

 

邦題もなかなか秀逸だと思う。

 

彼らの音楽自体も、今聴けばよく聴く感じだよね、という感想を持ちそうだが、何を隠そうかれらがそれを当たり前にしたのだ。

 

少し遅れて、YMOがもっとポップな楽曲で世に躍り出て、しかも打ち込みを主体としつつもドラムとベースのリズム隊は生演奏というスタイルで、海外で爆発、よりテクノポップというジャンルの拡大に寄与したのは有名な話だ。

 

ドラムとベースはリズムを刻む楽器だが、アフリカの音楽でもビートだけはあって、日本でも和太鼓など昔からある音楽では必ずあったのはこの重低音だ。

 

それを人力にすることは、ひょっとしたらクラフトワークのコンセプトに対するアンチテーゼ的な意味合いもあったのかな、とか勝手に考えてみたり。

 

ともあれ、音楽でも時代の変わり目だったり、新たなジャンルが生まれる瞬間を作り出した人たちがいて、そレは今では古典の領域ではあるが、振り返って聞いてみると非常に興味深く、今と変わらないところと変わったところが色々見えて、結局変わっていないのは人間というものの在り方なんじゃないかと思う。

 

以前は存在そのものが機械に置き換わるとか、機械に支配されるという恐怖心に近いものがあって、今はそれはだいぶないと思うけど、今度は仕事が奪われて働き口がなくなる、と危惧している人が増えているし、そうしたことをビジネス雑誌でも喧伝している。

 

それはやばいぜ!とみんな心配しているのだけど、でも仕事をあえてしなくても暮らしていけるようになれば、それはそれでいいんじゃないなかと個人的には思っている。

 

もちろんそうした社会を作っていく存在は必要で、それは政治家よりも起業家と呼ばれる人たちなんだろうなと思うけど、そういう人は何もせずに生きていける人を増やすために色々とやっていく訳だから、それがお金なのかなんなのかは別にして然るべき恩恵を受けて、ただ暮らしている人はその人生を全うするためだけに時間を使って、わがまま言わないでくれればいいんじゃないかな。

 

そういう社会になったら、政治家の仕事はその何もしない奴ら、きっと例によって文句ばっかり言うだろうから、そう言うのを収めることが仕事になって、起業家の人たちのストレスを減らすような役割になるのかな。

 

そんな構造が出来上がったら、きっと神と呼ばれる存在がそういう社会や世界を作る人たちになっていくだろうから、宗教のあり方も変わるのか、あるいは逆に旧時代的なまでにすがる人が増えるかのどちらかかなと思うけど、後者の方に振れるだろうな。

 

人間というのはどうも自分が大切な存在であると思いたいらしいが、ほとんどの場合それを示す力も能力も、まして行動すらもしていないから、何もせずにすがれる宗教くらいしかなくなるだろう。

 

そうすると宗教家が跋扈して、口の旨いやつが〜といった妄想をしていると果てしないが、面白いのでまた機会を改めて考えよう。

 

いずれにせよ、今は時代の変わり目なので、ぼーっとして享受することしかできない人は淘汰されていくんだろうな。

 

今は貨幣価値でそれが歴然とあらわれているが、数年後はまた違う価値観のもとに何かが動いているかもしれないね。

 

まとめ

なんだか話が脱線して色々と散らかってしまったが、展示内容が少ない分考える材料としては良かったのかも。

 

私の趣味はあれこれ考えることで、書店に行ったり街をうろうろしたり、特に何をするでもなく過ごすことも好きんだけど、最近気がついたのは私はそうして考えの種を探していて、そういうところから一定の法則性だったり共通項だったりを自分なりに設定してあれこれと考えることがとても楽しい。

 

こういうブログは、ある意味ではそれらのアウトプットとして文字化しているだけなのだけど、金もつかわないのでなかなかおすすめである。

 

事実と事実をつなぎ合わせていく作業がなかなか面白いんですよ。

 

そんな私は起業家にはなれないので、来る世界では宗教家を目指して今から人望か人離れした顔貌を手に入れておこう。