美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡

なんでも同じだけど、知られていないから劣っているとは限らない。

 

殊エンタメにおいては知名度は必須とはいえ、アートの領域においてはそんなものは偶然性以外のなにものでもなくて、作品の本質を評価するものではない。

 

しかし、知られていないから劣っていると考える人は平気でいて、本当に私は不思議なんだけど、自分の中に評価する物差しがなければ人の評価に依存するしかなく、そうなるのは仕方ないのかもしれない。

 

さて、千葉市美術館ではしばしばそんなマニアックな画家の企画展を催しており、しかも時代も昔から現代、伝統的な日本画や浮世絵から現代美術まで幅広くカバーしており、毎回足を運んでいるのだけど、2月末まで開催しているのがこれまた私は全然知らない人だった。

 

江戸時代の人で、版画作品が代表作らしいのだけど、版画といっても西洋的な銅版画である。

 

日本では当時既に浮世絵があったし、それは木版画なので技術体系としても違うものである。

 

時の大名、松平定信の命により海外の技術を勉強せよ、みたいな感じで技術の習得に励み始める。

 

今回の展示ではその過程をメモ書きみたいなものも含めて追いかけており、苦闘の後が見えるのも興味深い。

 

日本でも写実的といわれた表現はあり、かの円山応挙も同時代である。

 

しかし、西洋的なそれとはそもそも画材も違えば技術体系も異なる。

 

遠近法なんて視点すらなかった時代だったからね。

 

私が単に見慣れていないだけなんだけど、西洋的な構成に日本的風景が合わさった絵というのは、なんだか不思議な趣があり面白い。

 

また、個人的にも面白いと思ったポイントは、彼は作品を作る上でのさまざまな作品を参照しており、部分部分をつなぎ合わせて1つの作品を構成しており、それはまさにサンプリングである。

 

肖像は弟子が没後に描いたものくらいしかないようだが、一体どういう人だったのか、それも興味深いところである。

 

没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡

【開催概要】

江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・1748〜1822)は、現在の福島県須賀川市に生まれ、47歳の時に白河藩松平定信の命を受け、腐食銅版画技法を習得した遅咲きの画人です。
主君の庇護のもとで試行錯誤を重ねた田善は、ついに当時最高峰の技術を身につけ、日本初の銅版画による解剖図『医範提鋼内象銅版図』や、幕府が初めて公刊した世界地図『新訂万国全図』など、大きな仕事を次々に手掛けていきます。
一方で、西洋版画の図様を両国の花火に取り入れた《二州橋夏夜図》や、深い静寂と抒情を湛える《品川月夜図》など最先端の西洋画法と斬新な視点による江戸名所シリーズや、《浅間山図屏風》(重要文化財)に代表される肉筆の油彩画にも意欲的に取り組み、洋風画史上に輝く傑作を多く世に送り出しました。
首都圏では実に17年ぶりの回顧展となる本展では、現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、谷文晁・司馬江漢・鍬形蕙斎といった同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証します。

【開催期間】

2023年1月13日[金] – 2月26日[日]
前期:1月13日[金] – 2月5日[日] 後期:2月7日[火] – 2月26日[日]

参照:没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡 | 企画展 | 千葉市美術館

 

開催に気がつくのが遅く、既に後期になっていた。

 

わずか1ヶ月強と短い開催期間だが、見ごたえはばっちりで、何よりこれまで見てきた絵画とだいぶ違って面白かった。

 

洋画ではなく洋風画というのが名称的に発展途上を感じさせる。

 

谷文晁、司馬江漢の名前は見たことがあるが、多分近代の画家と勘違いしていた可能性大だ。

 

個人的見どころ

 

まずは田善氏の肖像を。

遠藤田一 「亜欧堂田善像」

こちらは弟子の残した肖像画、他にそれらしい作品は今回は展示されていなかったのだけど、きちっと正座していかにも真面目そうだ。

 

この肖像画は本人没後に描かれたとのことなので、この姿が彼の典型的なイメージだったのだろう。

 

まだまだ謎の多い、研究され尽くしていないそうなので、これから明らかになってくることもあるだろう。

亜欧堂田善 「品川月夜図」

こちらは代表作の一つ、東海道では初の宿場町となった品川の宿から海を眺めた絵だ。

 

芸妓さんらしき女性が海を眺めながら、傍には灯りが立っており、寂しげとも言えるし静かで心落ちつく風景とも言える。

 

当時は海にも面していたというのでこうして遠くを眺めるのは日常だったのかもしれない。

 

銅版画なので線の一つ一つが細かいので、西洋的な版画だと感じるが、そこで描いているのが日本的な風景というのがなんか不思議だ。

亜欧堂田善「二州橋夏夜図」

こちらは夏の風景とのことで、おそらく雷雲を描いた風景だろう。

 

当時は写真なんてもちろんないし、急に起きる自然現象に驚くばかりだっただろうが、そんな風景を描こうと思った時に記憶を辿ると、こういう表現になるんだろうな。

 

浮世絵においても雷の表現は度々みられるが、写実的とは言い難いが一方で独自の迫力ある表現となっており、芸術家としての力量のようなものを感じさせる。

 

 

こうした白黒の作品だけでなく、彩色されたものも多く描かれている。

亜欧堂田善「江戸城辺風景図」

似た構図の作品がいくつかあるようだが、なんだか不思議な雰囲気のある作品だ。

 

日本絵の具ではなく油絵具も使われており、しかし風景は浮世絵にもありそうな江戸のまちなみだ。

 

どこか現代的にすら感じるが、描かれたのは江戸時代だ。

 

こういう感じの風景画を見たことがなかったのですごく独特に感じてしまう。

 

近しい構図ではこんな雪景色の絵も。

亜欧堂田善「三囲雪景図」

こちらもほぼ同じ構図の作品がいくつか存在するようだが、やはりモダンな印象が強い。

 

私は雪景色の絵って好きなんですが、この絵を見た時には正直あんまりいいなとは思わなかった。

 

なんていうか、発展途上というか、多分作家本人の意向として、描きたいから描いたというよりは何かの練習のような印象だったのだ。

 

ていうか、この人の絵には全てそうなんだけど、ひたすら技術的なところに焦点していたような印象がある。

亜欧堂田善「七里ヶ浜遠望図」

こちらは浜辺の景観を描いているが、、司馬江漢もほぼ同じような構図の絵を絵が描いている。

 

洋風画において先達立つ江漢の絵を参照するのは当たり前といえばそうだが、彼はオリジンというよりはそれを発展させることに才能を発揮した人だったのかもしれない。

 

本当は載せたい絵があったのだけど、画像が見つからなかった。

 

彼の作品は、彼自身が描きたいものを描くよりは、やはり大名からの指令を受けて実直に行おうとしていたのかなと感じる。

 

その意味で、本質的に芸術的な目線で見ていいのかわからないが、結果的に彼の作品により後世の発展に繋がったわけだから、彼のような存在はやはり重要なのだ。

 

 

ちなみに、この展示会でも例によってスポットで説明書きがあるが、そこでなぜかピックアップされているごんぱちくんというキャラがいるが、序盤で登場するが実際に描かれた絵は終盤に登場する。

 

一体こいつなんだよと思うわけだが、絵を見てびっくり。

亜欧堂田善「驪山比翼塚」

ごんぱちくんの正体は白井権八、130人くらいは斬り殺したというとんでもないやつらしく、歌舞伎なんかのモチーフにもなっているそうだ。

 

この絵の背景にも無惨に切り倒された死体が累々と重なっており、手足もバラバラの陰惨な有様だ。

 

ごんぱちくんなどとキャッチーに伝えておいて、終盤にこれが出てきたら子供達びっくりだわ。

 

ともあれ、こうした伝統的と言えるモチーフも描いているのが面白い。

 

私の印象に残った絵の画像があんまりなかったので数が少なくなってしまったが、新しい作風や技術を取り入れていくのは科学だけでなく芸術も同じだ。

 

序盤でこそデッサンや写生、模写ですら苦心した様が伺えるが、のちには政府のいち大事業であったろう世界地図の作成や人体解剖図鑑の挿絵なども担当するにいたり、彼の画力の評価が当代で既にあったことが明白である。

亜欧堂田善「銅版画東都名所図」

こちらは江戸の街並みを鳥瞰的に描いた作品だが、細部に至るまで国名に描いており、その技術力の高さを窺い知るには十分だろう。

 

 

まだまだ画家として研究途上にあるらしく、わかっていないことも多いとか。

 

しかし、芸術家というよりは職人のような印象のある画家だが、新しい時代の画家にとっては大きな参照点にもなった存在だろう。

 

彼の奇跡はまだまだこれから明らかになってくるところもあるだろうが、いずれにせよ重要な存在になるに違いない。

 

名前的もっと派手な画業かとおもいきや、極めて実直で真面目な印象である。

 

一方でそれだけではない遊び心や画家としての野心が全くないわけではもちろんない。

 

西洋の作品のさまざまをつなぎ合わせて違う絵を構築するセンスなどは現代的な感性にも感じる。

 

有名か無名かなんて問題ではない。

 

そこにアグレッシブな挑戦の軌跡があれば、それが一番だ。

 

亜欧堂田善と音楽と

そんな彼の作品と音楽を重ねてみると、どんなだろうかと考えるわけだが、あえてこちらでどうだろうか。


www.youtube.com

日本が誇るエレクトロロックの代表格、Boom Boom Satellites

 

Voの川島さんが病気により他界してしまったことで活動終了となってしまったのだけど、Prodigyやケミブラと同時代でロックとダンスのクロスオーヴァーを実現させ、逆輸入的に日本でも人気を得ていった。

 

その音作りは実に職人的で、一般的な認知や人気よりもクリエイター好みなところもあり、いっときTVCMでもよくタイアップされていた。

 

今は中野さんがノベンバの小林くんと組んでSpellboundというバンドを組んでいるが、やはり音作りのこだわりには職人的なものを感じるし、同時にエモーショナルな熱さもしっかりと兼ね備えている。

 

知っている人は一般層とまではいえないが、その音楽性も音楽自体も、世界的に見てもハイクオリティだと思う。

 

知名度だけで測ることしかできないやつには理解できないだろうが、いいものはいい。

 

まとめ

こういうマニアックというか、歴史的に評価の定まっていない画家の展示会はなかなか開かれないし、間違っても六本木とかの美術館で開かれることはないだろう。

 

それだけ商業性には縁遠いと思うけど、そんなことは本質ではない。

 

千葉市美術館にしろSOMPO美術館にしろ、こういう日の目を見なかった画家の絵を見られるのは嬉しいことだ。

 

本当にまだまだこれから研究のまたれる人だと思うし、作品も派手さはない。

 

だけど、後数年したらどうなるかなんてわからないしね。

 

こういう人に焦点を当てた展示会は面白い。