美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

コレクター福富太郎の眼

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今日は久しぶりの展覧会、東京駅直結のステーションギャラリーで開催中の福富太郎という個人のコレクターの企画展へ。

 

日本人だと松方さんという方や、原三渓さんという人がいたりと、蒐集家として著名な人は何人かいて、過去海外のビュールレ?という人やそのほか企画展としてしばしば開催される切り口である。

 

美術館展と違い、あくまで個人の目線でのコレクションなので、画家とコレクターの距離感によっても情報量が違ってくるのが面白いところだ。

 

特に今回は日本人画家のコレクションということもあり、そのほかでは山種美術館の創設者くらいだろうか。

 

ともあれ、鏑木清方始め著名な画家の作品だけでなく、初めて聞いた画家の作品もあり、非常によかったですね。

 

コレクター福富太郎の眼

そもそもこの福富太郎さん、キャバレーのオーナーだったとか。

 

その中で美術品への興味もあり蒐集するようになったというが、そもそも事業家としてもとても成功した人らしいですね。

 

キャバレーという言葉自体が既に時代生を帯びているが、キャバクラだってキャバレークラブの略だからね、あくまで言葉の印象なんてのは慣習によるだろう。

 

それはともあれ、テレビにもでたり映画にもでたりしていたらしいので、素人芸能人の走りみたいな側面もあったのかもしれない。

 

そんな彼は美人画を主に蒐集していたため、コレクションの多くも美人画である。

 

そのため、美人画家として名高い鏑木清方上村松園、また様々な画家の美人画が多くを占めている。

 

後半では戦争画も蒐集していたようで、時代の描写としての使命感も帯びていたようだ。

 

いつの時代もアートは政治や世論の弾圧で客観的ではいられないものらしい。

【概要】

福富太郎(ふくとみ たろう/1931-2018)は、1964年の東京オリンピック景気を背景に、全国に44店舗にものぼるキャバレーを展開して、キャバレー王の異名をとった実業家です。その一方で、父親の影響で少年期に興味をもった美術品蒐集に熱中し、コレクター人生も鮮やかに展開させました。(略)

福富コレクションといえば美人画が有名ですが、本展は、作品を追い求めた福富太郎の眼に焦点をあて、美人画だけではない、類稀なるコレクションの全体像を提示する初の機会となります。鏑木清方の作品十数点をはじめとする優品ぞろいの美人画はもとより、洋画黎明期から第二次世界大戦に至る時代を映す油彩画まで、魅力的な作品八十余点をご紹介いたします。

【開催期間】

2021年4月24日(土) - 6月27日(日)

 出典;

コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画 | 東京ステーションギャラリー

 

個人的みどころ

美人画コレクターとして著名なだけあって、やはりまずは美人画だろう。

 

およそ現代的な視点から見れば、果たしてという側面はあるものの、面白いもので顔だけではない艶やかさのようなものが確かにあって、それが不思議なものだ。

 

昔はいわゆる和服、着物ですよね、をきているので露出は多くないわけだけど、和服の良さってなんだかんだ女性の女性的な部分はちゃんと見せるような作りになっているのである。

 

例えば首筋、うなじとかのところはガッと開かれていたり、腰には帯があるのでキュッとしまっている分お尻のラインはしっかり出ている。

 

胸元があまり強調されないのは日本的な価値観なのかもしれないが、そうしたポイントポイントの艶めかしさと、着物の向こう側に見えるボディラインみたいなものを想像すると、思わず色っぽいな・・・とか思ってしまう。

 

こうやって書くと、「また女性を性の対象と見て!」みたいなフェミニスト的な目線で文句を言われそうだけど、でもあの曲線美は男にはないものだし、色気っていうのは必ずしも異性に対してのアピールだけではない。

 

直感的に美しいと感じるものは美しいわけだし、それが女性の体特有のものであればそれを表現することは自然なことである。

 

冒頭は鏑木清方の絵画が中心に紹介されるが、今回の目玉の一つがこちら。

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鏑木清方「薄雪」

日本画において、しばしば黒の深さがとても綺麗なんだけど、着物と髪の描き方も違っていて、また表情も現代的な目から見ても十分美人だろう。

 

背景情報も色々知った上で見ると印象も変わるので、設定にも是非目を向けてほしいところだ。

 

変わり種だとこんな絵もある。

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鏑木清方「妖魚」

人魚を描いたものだが、当時は批判の対象だったり、海外の作品で似た構図のものがあったためパクリ疑惑をかけられたり、描いた本人もイマイチと評価していたりとぱっとしなかったらしいが、今に到れば彼の画業においても変わり種のモチーフなので人気の作品の一つのようだ。

 

パクリ疑惑も、そもそも書いた当時その絵は知らなかったというし、モチーフは泉鏡花の小説だったという話もあるから、芸術においてはいつの時代もこういう話って出てくるんですね。

 

ちなみに、この人魚の表情はなんだか悪戯なかんじというか、手には魚を握っておりやや怪しげな雰囲気もあり、だからこそ妖魚というタイトルなのだろうか。

 

この人の美人画はいずれも貞淑な趣があって、個人的にはこういう女性像は好きなので、つい見入ってしまうところがあり、また筆致も繊細なので単純に絵として美しい。

 

女性にも見てほしい作品群である。

 

 

また今回は渡辺省亭展でも展示されていた絵もいくつか展示されていたんだけど、その類似の構図のものも。

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渡辺省亭「塩冶高貞の妻浴後図」

役人の妻の浴後の身なりを整える場面の絵で、元ネタは師匠の絵のリメイクである。

 

この絵に似た構図の作品がいくつか展示されており、ヌードなのでわかりやすくセクシーとも言えるが、個人的には侍女の顔に注目だ。

 

主役たる妻が美人という役割だと思うが、それと対比させるように明らかに不美人に描かれているのではないだろうか。

 

面白いというと悪いが、類似構図の作品は甲斐を重ねるごとにそれが加速しており、どこか悪意を感じざるを得ない。

 

思わず笑ってしまったが、こういうところも注目だ。

 

 

こちらは私は初めましての作家がだったのだけど、非常に印象的な絵だったので。

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池田輝方「お夏狂乱」

清方の弟子でもあった池田輝方という人の絵で、歌舞伎の演目をモチーフにした作品らしい。

 

お夏という人が狂気の人となってしまった場面を描いているが、穏やかな表情が却ってリアルだ。

 

虚な目と半開きな目が心ここにあらず感もあってよいではないか。

 

乱れた着物と手荷物も全て地面に落として座り込む姿は、現代の街中でも見かける景色である。

 

演目自体の内容は細かく見ていないけど、実は歌舞伎って現代にも通じる話というから、こういうのをきっかけにまた見てみても面白いかもしれない。

 

誰か一緒に行ってくれないかな。

 

 

そのほかこんな作品も。

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岡田三郎助「あやめの女」

みかえり美人という言葉が昔からあるが、こちらは顔も見えていないが着物が半分以上脱げており肩も顕、着物の青も鮮やかで、西洋画の影響も見られる作品で非常に艶めかしい。

 

この岡田三郎助さんは大学で教鞭もとるほどの重鎮で、黒田清輝の流れにのる西洋画の保守派だったとか。

 

こちらのタッチの方が馴染みがある人も多いだろうが、ともあれ色々想像も掻き立てられる作品である。

 

ちなみに、私が日本画における女性画で、見ていて面白いなと思うポイント一つが着物の絵柄だったり色だったりする。

 

とても艶やかでド派手だったり、色の組み合わせもエキセントリック、また感情や思いを着物の柄に託したような作品も多くあり、西洋画とは違ったファッション的な側面で楽しめると思っている。

 

実際浮世絵の着物の柄とか、どういうセンスなんだと思う組み合わせも多く、近年原宿系などと言われて世界的にもすっかり有名になった日本のファッションセンス、色彩感覚というのはこの時代からあるものなのかもしれない。

 

絵自体には興味がなくても、着物の柄という視点で見ても十分に楽しめるはずである。

 

 

長くなってしまったので、最後は蒐集家としての彼の価値観を感じさせるこんな絵を。

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向井潤吉「影」

こちらは日清戦争の風景を描いたという作品らしく、モチーフは蘇州という中国の都市らしい。

 

街に大きく影を落とすのは戦闘機だろうが、明らかに実際よりも大きく描かれている。

 

戦争画はそのモチーフ的に絵画的な価値がつきにくいらしんだけど、そういうことじゃなくて、戦争賛美とかそういうことじゃなくて、時代のドキュメントとして戦争画も残しておくべきだ!と福富さんは考えていたようで、別に資産としてではなく、芸術が芸術たるゆえんがどこにあるのか、その視点を持っていたことがとても重要なポイントではないだろうか。

 

冒頭のポスターにも使われた絵も、モチーフは心中ものらしく、当時はあまり好んで売買されるものではなかったらしい。

 

いつの時代も表面的なことだけを見て騒ぎ立てる人は一定いたんだろうね。

 

 

ともあれ、彼は自分の目を信じて、自分が素晴らしいと思えるものを好んで集めていたというから、文化的な価値を重視する美術館のコレクションとは違う側面が見えてくるのは面白いところである。

 

実際、全然名前も知らない作家、才能は認められていたのに若くしてなくなったため世に知られることのなかった存在まで、当時リアルタイムだったからこそ出会えた作品をこうして後世に残してきたことは、芸術家にとってもとても意味のある存在だったのではないだろうか。

 

福富太郎と音楽

そんな彼と音楽を考えてみたが、こんなバンドはどうだろうか。


www.youtube.com

日本のインディバンド、mooolsの"いるいらない"。

 

90年代のUSインディシーンとの交流もあり、そのあたりと音楽的にも通じるところがあるが、歌詞が非常に独特。

 

時にただコミカルなだけもあるが、指摘で端的な言葉と曲との相乗効果で独特の空間を生んでいる。

 

商業的に成功しているとは言い難いが、バンドをやっている人で彼らのファンは意外と少なくない。

 

この動画の曲も、歌詞はほんの数行程度の日本語だ。

 

だけど、聞いているとなんとも言えない不思議な気持ちにさせられて、色々考えてしまう。

 

具体的なようで抽象的、シンプルなようでしっかりと奥行きがある、売れる売れないは別にして、自分たちの描く表現を貫いてしっかりファンでもできている。

 

そんな存在が彼らmooolsである。

 

余談だが、ヴォーカルの酒井さんは大喜利の強さにも定評がある。

 

いずれにせよ、売れている音楽が全てじゃないし、周りの評価は一面でしかないというのはどんな世界でも同じである。

 

まとめ

コロナの影響もあって、開催期間は今月27日までなのでもう直ぐ終了なのだけど、個人の趣味の世界を覗き見る思いで見てみるといいですよ。

 

日本画、特にそれほど著名でもない人の展覧会にしては今日は人出も多かったのは、単に時勢の影響もあるだろうけど、見にいく価値が十分にありますね。

 

ちなみに、図録のデザインもキャバレー感があってポップで素敵です。

 

人生なんて所詮生きて数十年、他人の理解に拘ってみても、そいつらがいつまで生きているかわからないんだし、自分なりに楽しくこだわりを持って生きていけたら、それが幸せなんじゃないかな。