大きな表現と細やかさ -葛飾北斎「冨嶽三十六景」×川端龍子の会場芸術
連休もはや3日が経ってしまった。
この間の過ごし方は、昼間は美術館に行って、ラーメン食べて買い物して帰って酒を飲むということを繰り返している。
明日は少し違うことをしようかしらと思ったのが昨日、したがって今日は少しく行動を変えてみる。
といっても、朝5時過ぎに目が覚めたので、起きてテレビを見ながらしばらくボケっと過ごし、よっしゃと息巻いて先週買ったエアバイクをキコキコ漕いで少しばかりの筋トレをやった。
ここ1ヶ月くらい、1日30分から1時間程度の軽めの運動で、筋トレといっても腕立てと軽めのウエイトくらいだ。
それでもなんだかやけに肉がつきやすくなったのか、体重がみるみる増えていく。
人生史上見たことのない重量に差し掛かっており、元々タイト目な服ばかりなので、特に肩周りがパチパチになってきた。
どちらかと言えば皮下脂肪を落として、シャープにするつもりだったのに。
ともあれ、まぁせっかくなのでしばらく続けていこう。
そんな朝を迎えて、早く起きたため眠くなり少しだけ寝こけて、而してのち出かけたのであった。
今日は前から気になっていたけど、交通の便が良くないため躊躇われていた、川端龍子記念館へ。
いずれの駅からも離れた住宅街のど真ん中にあり、またそれらの駅も普段使わない路線なのでそこも億劫だったの。
しかし、こんだけ時間もあるし、ちょいと行ってみようじゃないかというわけさ。
企画展で北斎の浮世絵も展示されているとか。
最近北斎絡みの企画展多くないですかね?
葛飾北斎「冨嶽三十六景」×川端龍子の会場芸術
川端龍子の絵は山種美術館でもいくつか見たことがあったのだけど、わかりやすく言うとめちゃでかい絵を描いていた人である。
会場芸術といって、見栄えのする作品を作りたい!といって独自路線を歩んでいたんですね。
そんな彼の自宅に作られたのがこの記念館で、存命の時にはもうできていたらしいね。
縦横数メートル以上という巨大な絵画は、その存在感だけで驚かされるものがある。
【開催概要】
本展では、龍子が愛蔵していた「冨嶽三十六景」全46図と、龍子が富士山を描いた作品群を一挙展示します。
また、龍子旧蔵の伝 俵屋宗達《桜芥子図襖》を特別出品し、龍子の代表作《草の実》(1931年)や《龍子垣》(1961年)等の作品とともに展示し、画家を魅了し続けた古典の名作と、その革新を紹介しています。
日本だけではなく、今や世界的な人気を誇る北斎の名作を龍子の大画面の作品と合わせてどうぞご堪能ください。【開催期間】
令和3年7月17日(土)~ 8月15日(日)
参考:https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/exhibition?20976
基本的には収蔵作品を展示している小さな企画展だが、作家自身がコレクションしていたものの中に北斎の富嶽三十六景があり、そちらを一式展示するというわけだ。
例の波の絵や赤富士はしばしば見たこともあるが、このシリーズながらまとめてみたことはないし、これはなかなか稀有な機会である。
龍子自身もこれらに影響された絵もあり、まあ展示スペースの構造的な問題もあるから単に同じ空間にある、という感じになってしまったのは致し方なしといえど、ともあれ面白い企画である。
個人的見どころ
まずは視界全体に迫ってくる龍子の絵自体がやっぱり強烈だ。
入ってすぐに展示されているのがこちらの作品。
歌舞伎の演目が題材のようだが、とにかく画面全体の力強さと迫力、これである。
私は絵でも音楽でも生で見るにしくはないと思っているけど、彼の絵こそまさにそれである。
彼の唱えた会場芸術とはどういうことか、これを見れば1発でわかるだろう。
デカイので筆の流れもかなりドカンと印象強いわけだが、そのダイナミズムがありありと浮かんでいる。
こうして大きな作品だと、いかにも大味なイメージかもしれないがそんなことはない。
むしろそれぞれは当然のように緻密にしっかりと描き込まれている。
だからこその存在感だろう。
こちらは襖に描かれた作品なので、大きさ自体は他のものに比べれば小さいものである。
桜などが描かれた絵なんだけど、この繊細で緻密なことよ。
基本的な人はこういうものだろう。
静かながらとどっしりした印象だ。
彼は狩野派の影響を強く受けており、それらの影響かこんな絵もある。
黒字に金の絵の具で描かれており、めちゃくちゃかっこいい。
この葉っぱ一つ一つも実に写実的に描かれていて、濃淡も出しながら独自な世界観である。
今回の展示で1番好きだったのはこちら。
今回の企画に沿うテーマだが、北斎の作品にインスパイアされた作品である。
ただ、富士山が描かれてあるのでそれと理解できるが、他の部分についてはもはや抽象絵画的ですらある。
雲海と雷の迸る様や、背景の物々しい様も、空気全てが渦巻いているのが描写されているようで、これまた凄まじい。
ちなみに北斎の作品はこちら。
下の方のキレたみたいのが雷である。
風神雷神で知られるように、雷は雷神様が発生させるものだが、富士山はそれすらも見下ろすくらいデッカいぞ!というわけだ。
雷の周りは真っ暗だから、それだけ荒れた様相なのだろうけど、富士山頂はすっかりいい天気、雷鳴なんぞどこ吹く風である。
北斎については私なんぞが今更いう必要もあるまいが、彼の作品は非常に実験的なところと遊び心が見られ、且つ探究心の塊のような人だったらしいので見ていて面白い。
しばしば実際の景色を再構築して構図を凝らしたり、描き方にもある種のパターンのあるものもあったり、いろいろ試みたのだろうことが窺える。
その最たる例の一つがこちらだろうか。
富士山と湖を描いており、湖面にも逆さ富士が写っているが、よくみると湖面の方は雪がかぶっている。
こんな遊び心を忍ばせたりしている。
今回の展示品は龍子の個人的なコレクションだったらしく、状態も非常に良いもののようで色彩も鮮明でかけているものもなく、非常に質のようものだった。
もっとも、どの時期に刷られたものかはわからないので後になって再刷されたものかもしれないが。
龍子と音楽
そんな川端龍子にリンクする音楽って何かしら、と考えてみると、こちらなどはいかがだろうか。
日本のオルタナティブ・ミクスチャーの先駆けたるBack Drop Bombの"graySONGzone"。
賛否両論を巻き起こした3rdアルバム収録で、それまで全編英語詞だった彼らが日本語の詩を初めて導入。
彼らは元々日本においてHi Standardらと共にインディという価値観を体現していく一方で、Dragon Ashらにも影響を与える形で独自の音楽を展開していた。
ベースはロック、ファンク、ヒップホップ、レゲエと言ったあたりが1stでは色濃く、2ndではハードロック色がかなり強くなる。
そして3rdではダンス・インダストリアルといった打ち込み的な音楽の影響も色濃くなっていく。
正直歌詞はクールとは言えないと思っているけど、曲は抜群にかっこいいし、彼らなりに広く伝えつつ新しいことをやってやると言う気概も満ちていて、この曲を聞いているとなんだか元気になってくる。
わかる人にだけわかればいいではなく、どれだけ多くの人を巻き込んでいくかって言うのは大事だと思うのですよ。
わかりやすいポップさと、丁寧かつ練られたサウンドメイキング 、大きな表現としっかりと描きこむ繊細さ、そんな共通点を見出せないかしら、なんて思った次第だ。
おわりに
私は絵を見るのは好きだけど、そこまで詳しいわけでもない。
いまだに見方のよくわからない絵もあるけど、その人が何を表現しようとしていたか、なんでそういう道を選んだのかなどを情報として知っているだけでも見え方は変わる。
そうすると、形は違えど何かsら共通点みたいなものが見えてくるような気がするのだ。
実際はどうかわからないけど、昔から音楽家と画家だったり、詩人と演劇家だったりが意気投合している事例も多いらしい。
形が違うだけで、そういうのを見つけながら、同じく自分の中の何かと共振しないかを探すのも面白味である。