モンドリアン展 純粋な絵画を求めて
コロナ禍とあって、平日街中は働く人たちも含めてかなり人の出は少ない。
休日の方が多いのではないか。
出社しても客先はリモートということが増えているので、とりあえず会社に来させられるサラリーマンの悲哀よ。
そのおかげで、平日休みだと快適で良いですね。
これ好機とてモンドリアン展へ。
みたことのあるあの赤と白のあの印象的な抽象画、なるほどあれを描いたのがモンドリアンという人か、というのを知ったのはこの展覧会の企画を見てである。
カンディンスキーとかと思ってた。
私はあんまり芸術的な感性が豊かではないので、抽象絵画が何をしようとしているのかが分からない。
しかし、面白いもので勉強すればそれなりにふむふむなどと言うことくらいはできるようになるわけだ。
そんな訳で、非常な空いていて快適なモンドリアン展へ。
モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて
雨の中、新宿のど真ん中にある損保美術館へ。
繁華街からは離れているので、意外と周辺は落ち着きがある。
【開催概要】
モンドリアン(1872-1944)生誕150年を記念して、オランダのデン・ハーグ美術館所蔵のモンドリアン作品50点、国内外美術館所蔵のモンドリアン作品と関連作家作品約20点を展示します。(略)
モンドリアンの絵画構成は、デザイン領域まで影響を与えています。(略)
日本で23年ぶりの待望の「モンドリアン展」です。
【開催期間】
2021.03.23(火)- 06.06(日)
参照:
余談だが、会社の子の携帯ケースが、モンドリアンの絵画だったな。
個人的見どころ
個展、回顧展の良いところは、その画家の画業を初期からたどり、どんな変遷で彼らが独自の表現にたどり着いたかがわかるところだ。
抽象画は、悪い言い方をすれば誰でも描けそうなものだが、しかしやはりただの模様ではないのである。
モンドリアンも、初期は印象派的なタッチの絵画から始まっていたようだ。
同時代の画家なので、そりゃ影響も受けるよね。
しかし、早々にセザンヌ的発想というか、写実的な絵画から離れて色彩や形態に関心が向うらしい。
しかし、点描と言えばジョルジュ・スーラが有名だが、彼の作品にみられるような明るさよりは、一見して正直不気味でさえある。
絵のタッチは点描やキュビズムなども経て、また色彩はまさか構築と呼ぶべきものになっていく。
とはいえ、この頃は作風が前後しているというか、引き続き印象はな絵も描いており、点描なども駆使した様々な画風を披露している。
そこから幾人かの同士も得て、線と色彩を組み合わせた例の作風へと発展していくらしい。
初期の絵においても、その萌芽と思える表現は見つけられるところがあり、本人もそうしたコメントをしていたのだとか。
絵画とはなんぞや、みたいなことをずっと考えていた人なんだろう。
経済的に困窮していた時期もあったため、その間はやりたいことの別で発注に応じた絵画も書いていたというが、そこにさらりと自分の表現欲求も忍ばせていたとか。
ところで、抽象絵画においてしばしばタイトルに冠せられるCompositionという言葉だが、日本に直訳すると組成、構成となるのだが、絵画における構成のみを抽出する、というような意味なのだろうか。
さきにも出したカンディンスキーについては、バウハウス展なんかでも見て、そこで初めて抽象画の面白さの一端を感じた思いがしたが、それらと比べてもモンドリアンの絵の方がさらにストイックな印象だ。
見えているものを1番シンプルな構造に置き換えていく、ということをバウハウスの授業ではやっていたらしいが、そこから具体的なものでなくても、奥行きや色彩、構造を感じることはできるのであったらそれが抽象画の一つの側面であるというが、構成要素が少なくなればなるほど抽象度は高まり、やはり線と色にしか見えない訳だ。
本当に線と色を描いただけだ、と言われればそうなのかもしれないが、そこに何を求めたんだろうか、というのが掘り下げる際の面白いところだし、何らよりこの人は考えて描いている訳なので、そこには必ず意図がある訳である。
ちなみに、色彩は抑えて線の表現で画面に動きをつけたような絵画も。
両端の線が細くなっており、太い線との対比で前後関係や遠近感のようなものが見えはしないか。
と、まあ言ってみたところでよくわかっていないんだけどね。
とはいえ、やはり生で、目の前で見ると80cm四方とかあるので、目の前で、視界一杯にみているとやはり違うよ。
静かにみられるので、よくわからん・・・とか思いながら探してみるのもとても楽しいのでおすすめである。
モンドリアンと音楽
さて、そんなモンドリアンの絵画にマッチしそうなのは何かしら、というとやはりこれだろう。
世界のスーパーマス/ポストロックバンド、Battlesである。
親も音楽家であり、いまや現代音楽に振り切ったタイヨンダイはじめ、初期はハードコアバンドや、マスロックの先駆的なバンドにいたメンバーで構成されている。
バンドとして初期は特に実験的な色が強く、ミニマルな展開が終始する、はっきり言って地味な音楽だった。
しかし、1stフルアルバムではそこにポップ性が備わり一気に波及力を強めた。
その後2ndで1人脱退、さらに今はもう1人脱退してしまい、メンバーは2人となっている。
そんな2人体制で昨年アルバムをリリースしているが、ますますキテレツになっていて驚いた。
映像もちょうどぴったりだった。
生演奏を軸にしながらも、その場で音を録音して、ループさせて構築していくようなスタイルなので、ライブは本当に忙しそうだ。
音楽的にはポップとは言ってもやはりキテレツ、構築的でかっちりしているようでだいぶ変な音楽だし、なんのこっちゃ分からん、という人も少なくないだろう。
しかし、彼らもまた音楽の探究者である。
そんなスタンスや変遷、音楽を通して見えてくる音像も、モンドリアンの作品と通じるところがあるのではなかろうか。
まとめ
音楽、絵画によらず、表現の根源は通じるところがあるだろう。
一見意味不明でも、その表現の根源を探ることで、たとえ感性が乏しくても少しでも理解には繋がるものである。
少なくともそうは思えると、やはり見ていて面白いからね。
絵の横に解説文も載っていたが、正直それを読んでもピンと来ないところも少なくないとはいえ、図録も買ったのでまた改めて眺めながら考えてみよう。
わからないものをわからないものとして距離をとるのではなく、それはそれで向き合ってみるのも、結構いい暇つぶしになるよ。
渡辺省亭 -欧米を魅了した花鳥画
すっかり桜も散って、殆どが葉桜となっている上野公園だが、緊急事態宣言解除を受けてか多くの人の出があった。
外国の人も観光なのかよく見かけたね。
かく言う私もウロウロしているわけだが。
そんな今日は芸大で開催されている渡辺省亭展へ。
コロナの影響で海外の美術館からは絵が借りられないので日本の絵画展が多く開催されており、先日まで開催されていた吉田博などこれまで知らなかった人の個展が多くなっていることは私にとってはいい機会である。
以前は西洋画、とくにやはりわかりやすい印象派の作品を好んで見ていたけど、最近は日本の絵画も好きでよく見ている。
渡辺省亭 -欧米を魅了した花鳥画
さて、そんなわけで 東京芸術大学へ。
【開催概要】
明治から大正にかけて活躍した渡辺省亭の全貌を明らかにするはじめての展覧会です。(略)
繊細で洒脱な花鳥画は、その後、万博への出品やロンドンでの個展などにより、海外で高い評価を得ます。一方、国内では、迎賓館赤坂離宮の七宝額原画を描くなど、その実力は認められながらも、明治30年代以降は次第に中央画壇から離れて市井の画家を貫いたため、展覧会で紹介されることが少なくなりました。
この展覧会は、近年再評価され、注目される省亭の海外からの里帰り作品を含め、これまで知られていなかった個人コレクションを中心に、全画業を紹介する待望の企画です。
【開催期間】
2021年3月27日〜5月23日
実は印象派の画家にも影響を与えており、あのドガには要望に応じて絵のプレゼントをしたこともあるそうだ。
また、画鬼と自らを称した河鍋暁斎が取り組んでいた絵の見本帳のようあものがあったらしいが、彼が途中でなくなってしまったのでその事業を引き継いだのが渡辺省亭であったそうだ。
それだけ画力が優れていたということである。
個人的みどころ
日本画は昔から景色や風俗を描くものも多く、西洋と比べれば宗教画も多くない。
というか、仏教画みたいなものはお寺に収蔵されていたりするので、見にいく展覧会ではあまり扱っていないだけだろうけど、ともあれ適度なゆるさやユーモアもあり、漫画大国ニッポンには昔からそんな素地があったのかもしれない、などとも思う。
この渡辺省亭という人は動物、植物、美人画など画題は多岐にわたるが、とにかく絵が抜群に上手い。
プロなんだから上手くて当たり前だろ、なんて思うだろうがそんなばかりではない。
こと写実性という点においては、それこそ速水御舟や、古くは伊藤若冲、円山応挙、葛飾北斎など、その画力自体が個性となっているくらいだと思う。
文化的な違いなんだろうけど、絵の具の種類や画材が違うせいか、西洋画とは違った味わいがあって、静物画については私は日本の画家の描くものの方が好きである。
また、ただ写実的、いわば写真みたいだからすごい訳じゃなくて、やはり絵画としての表現がそこにはあり、濃淡やスポット的な表現、あるいは抜き差しのバランスや構図など様々な要素を加味して再構築されており、そこにも画家の力量や個性が現れる訳である。
掛け軸などを見ればわかるが、日本の絵は背景などを描かず、対象のみをポンとおくようなものが多い。
で、この人の絵は色の使い方もとても良くて、背景などは水墨画のように白黒の濃淡で描かれ、ポイントになるもの、あの中の主役にだけ淡い色彩を載せるものがとても印象的である。
ファッションでも差し色を入れるのはオシャレのテクニックな訳だが、そんな差し色の効果も端的にわかりやすく提示してくれているだろう。
そして動物画においては、本当に生き生きと描くのである。
今にも動き出しそうなんていうのは動物がなんかの誉め言葉の定型句の一つだが、むしろ動いているまさにその瞬間のようなのだ。
あんまりそう感じたことが個人的にはなかったので、私にとってはなかなかエポックメイキングな体験でもあった。
渡辺省亭と音楽
そんな渡辺省亭展に紐付けで見たい音楽は、ハードコアバンドとして世界的にも評価があり、日本ではZAZEN BOYSの大きな参照点と言われており、またスーパーキテレツインストバンド、Battlesにも大きな影響を与えている54-71である。
ギター、ベース、ドラム、ボーカルというシンプルな編成で、音数も多くなくスピードの速い楽曲でもない。
全編英語詞で、ラップ的な歌い方をしていて、曲調もいわば人力ヒップホップ的な感じもある。
どんと腰の座った重低音に乾いたギターがかっこいい。
音楽自体は極めてシンプルながら、やたらドスが効いていて迫力満点。
侘び寂びも感じさ、日本的な風味も満載である。
好みは分かれるだろうが、腰にくるかっこいい音楽をやっている。
まとめ
何かと海外コンプレックスの強い日本人、しかし世界から称賛 される日本がここにあるわけだ。
なんてこと言うまでもなく、見ているとシンプルに驚くし、感動する。
余白には間があって、時間が存在しているような絵画表現は、つい見入ってしまう。
画像が出てこなくて掲載できなかったが、金魚の絵もしなやかで透明感もあって、本当にすごい。
開催期間はまだしばらくあるので、是非見に行ってみてほしいところである。
吉田博展 -東京都美術館
桜もすでに満開の上野、平日なのに人多いな、と思ったらすでに春休みの時分である。
修学旅行か何かか、中学生か高校生の子らもちらほら。
それにしても、美術館にいる女の子は可愛く見えるのはまあだいぶ気のせいだろうが、ともあれ絵もさることながらつい女の子も観てしまう。
吉田博展
というわけで、上野美術館で開催中の吉田博展へ。
商談も入ってなかったので、思い切って有給を取って。
今週末で終わってしまうので、混む可能性も加味していってやろうというわけだ。
【開催概要】
没後70年 吉田博展。
世界を魅了した日本の木版画があります。洋画家としての素養を持ちながら版画家として新たな境地を切り開いた吉田博(1876~1950年)の木版画です。本展は、吉田博の没後70年にあたる節目に、後半生の大仕事として制作された木版画を一挙公開。
【開催期間】
2021年1月26日〜3月28日
ちょうど先日練馬美術館で見た中に吉田博の絵もあり、そういえばと思ってね。
浮世絵からさらに発展させた木版画の世界を築き上げたそうである。
個人的みどころ
作品そのものの美しさもさることながら、個人的には彼のインディペンデント精神溢れる活動スタンスがとてもかっこいいと思った。
企画展ではなく個人展になると、その作家の画業を振り返る形になるわけだが、特にまだあまり知らない人については網羅的に知ることができるのはありがたい。
人によるが、中には時期により画風の大きく異なる人もいるわけで、なぜそうなったのかを辿っていくのは面白いものである。
この吉田博さんは、画風ややっている事が大きく変わるということはなく、割と初期から版画という技法を使って描いている。
描くモチーフは風景から人物、風俗など様々だが、世界中を旅して描いているので描く対象は時期により異なる。
注目すべきはその表現の深化で、後半になればなるほど版画でこんな絵が描けるのかと驚くばかりだ。
版画は多分小学生の頃にほとんどの人が作ったことがあるだろうが、凡そそのイメージからは程遠い色鮮やかで細密で肉筆の如き写実性もある。
また版画ならではだなと思うのは、同じ絵を違う色で刷り上げることで、全く異なる作品に仕上がることだ。
わかりやすいのは昼間と夜を同じ図柄で描き分けるところ。
色というものが認識においてどれほど大きな要素かを暗に物語るようだ。
また吉田博その人も、海外での活動が有名らしく、割と早い段階でアメリカへ渡り、絵を売りながら旅をしていたとか。
しかも、当時は政府の出資で留学というのが盛んに行われている中で、それなんか違くね?みたいな気持ちで自費で渡米したのだとか。
自主制作中心だったというから、さながら版画界のインディーズの草分けといったところか。
ダイアナ妃やマッカーサーも魅入られた彼の作品は、まさに世界基準である。
感想的な話
最初期の作品は水彩画からのようだ。
元々は版画で世界的に評価を得たというが、最近では初期の作品も再評価が進んでいるのだとか。
登山も大好きだったという彼は山の絵をよく描いたのだけど、子供の名前も山から取ろうとしたのだとか。
彼の次男の名は穂高というそうだ。
版画作品でも山脈を描いたものが多いのだけど、細密なタッチはありつつも、色彩などは浮世絵的な感じもあり、まだまだ模索している頃だろう。
版画は、絵を描く人と、それを元に版を掘る人、そして擦り上げる人の3組で作品を作るものであるが、吉田博は絵を描くだけでなく自らも掘ったという。
浮世絵では絵を描く人の方がやはり有名だけど、実は作品には彫り師や刷り師の名前も押印されている。
吉田は早くから海外に出ているので、モチーフも世界各地だ。
画像サイズがだいぶ違ったが、ともあれ何も同じ版でありながら色だけを変えている。
全く同じ構図でも、色を変えるだけでここまで印象が変わるのが面白いところだ。
まさにリミックスと言ったところか。
こちらはこの展覧会のメインビジュアルでもあり、彼の代表作といわれる作品。
作品全体を見ても、青と赤の境界、紫がかった世界がとても印象的なんだけど、この明け方の風情が私は個人的にも大好きなんで、つい見入ってしまう。
そして、こちらがかのダイアナ妃も自室に飾っていたという作品。
本物は、真ん中の太陽に続くところが本当にキラキラと光って見えてもっと綺麗。
ダイアナ妃は、来日した際に自らこの絵を選んでいったという。
風景画の印象が強いが、先に挙げた子供の絵も描いている。
息子の穂高君である。
これも木版画で描かれているんだけど、こんなに絶妙な濃淡を出せるものかと驚く。
浮世絵は好きでよく見ていたんだけど、あのイメージからするとこんなに微妙な濃淡まで表現できることが驚きだ。
まあ、私は全然その筋に詳しいわけではないんだけどね。
後年はインドや東南アジアの風景も描いており、霞がかった表現はすごい。
こちらは淡い色を何度も剃り重ねて作り上げたという作品。
パキッとした境界が特徴とも言える思うが、それがないのだ。
人物描写以外の淡い感じがすごい。
彼のキャリア終盤はまた日本国内、寺社などをモチーフにした作品が大半をしめていく。
桜と合わせた風景も多く描いており、どれも美しい。
世界を旅して回った彼のキャリア終盤には第二次世界大戦が起こる。
大戦は無事生き残った彼が、戦後に描いた作品は1点で、それが最後の作品であったとか。
それがこちら。
何気ない農家の風景、派手さもない地味な作品ながら、何気なさこそ彼の作家性だったのかもしれない。
彼は自然の側に寄り添った作家でありたいといったことを言ったそうだが、人の暮らしも自然の風景、といったところだろうか。
彼は海外で活動することを常に視野に入れていたため、作品制作も欧米での受けをきちんと考慮して制作していたらしい。
先の電柱絵画展で見てからのこれだったので、その視点も交えると、海外から見た日本的な風景というものを重視していたので、電柱みたいなものは描かなかったのだろう。
ともあれ、そうして海外でも著名であったため、GHQのマッカーサーも、日本にきた際には彼を訪ね、また手紙も送っていたようだし、また彼の自宅には米兵が訪れて、版画について講義をしたりもしたそうだ。
彼の子供たちも、版画家として世界的に著名というから、しっかりと親の背中を見て育ったんですね。
吉田博と音楽
そんな吉田博と合わせて紹介する音楽は、さて何にしようか。
こちらはイギリスにおいてではあるが、まだ日本でロックという存在自体がしっかりと定義されていないような時代に、いち早く海外のプロデューサーも迎え、高い音楽性によって現地でも人気を博したこのバンドだろうか。
Sadistic Mika Band - Suki suki suki -Old Grey Whistle Test (7th Oct. 1975)
ご存知サディスティックミカバンド。
加藤和彦、高橋幸宏、高中義正など日本でも有数のプレイヤーも在籍した伝説のバンドだ。
73年に1stアルバムをリリースしているが、今聞いてもお洒落で小粋な音楽だ。
ボーカルを変えて何度か再結成しており、近年では木村カエラのVoが記憶に新しかろう。
彼女はハーフなので、おじさんがイギリスの人だったと思うが、「あのミカバンドに参加するのか!?」とおじいちゃんびっくりしたというのは有名な話だ。
いち早く世界に打って出て、実力で評価を勝ち取ったその姿や、日本よりも海外での方が有名になってしまったあたり、同じようなインディー魂を感じざるを得ない。
まとめ
浮世絵はよく見にいっていたし、版画という表現自体にあまり魅力を感じていなかったというのが正直なところなんだけど、この人の作品はそれをドカンとひっくり返されるような思い出ある。
こんなに細かく綺麗で、絶妙なニュアンスまで表現することができるのかと驚いた。
中には90回以上も摺りを重ねることで表されるというのも、まさに職人芸だし芸術家だと思うわけだ。
今週末で終わってしまうけど、是非本物で見てみてほしい。
印刷やこうしたネットの画像で見るものとは、やっぱり全然違うから。
電線絵画展 -練馬区美術館
企画展の面白いところは、特定のテーマに沿った見方を提示してくれるので、私のような素人にも絵の見方をわかりやすく教えてくれるところだ。
絵はただの風景の私でも写真の代わりでもなく、作家により再構築された世界である。
それは色彩に限らず構図もそうだし、時に描き出される対象そのものにもその作家の価値観が映し出される。
何気なく観ていると、ただの綺麗なものなんだけど、実はいろんなものが含まれているわけだ。
もちろんただ綺麗なものとしてみることも楽しいんだけどね。
電線絵画展
さて、練馬区美術館で開催されているのが『電線絵画展』。
電線の描かれた絵を紹介しつつ、日本の、主に東京の近代化を映し出した絵画を紹介している。
【企画展概要】
街に縦横無尽に走る電線は美的景観を損ねるものと忌み嫌われ、誰しもが地中化されスッキリと見通しのよい青空広がる街並みに憧れを抱くことは否めません。(略)
この展覧会は明治初期から現代に至るまでの電線、電柱が果たした役割と各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、読み解いていこうとするものです。(略)
電線、電柱を通して、近代都市・東京を新たな視点で見つめなおします。
出典:「電線絵画展-小林清親から山口晃まで-」 | 展覧会 | 練馬区立美術館
【開催期間】
2021.02.28(日)~ 2021.04.18(日)
展示される作家は、小林清親、月岡芳年、河鍋暁斎、岸田劉生に川瀬巴水、伊藤深水、吉田博ほか、日本の作家の作品が広く紹介されている。
錦絵が多いが、油彩、水彩画、版画など多岐に渡っている。
個人的見どころ
今では当たり前にある電柱、その始まりから普及、街の当然の景観になっていく中で、今では撤去するべきと言われるような存在になってしまっているが、絵画を通して当時の活気や変化の変遷が観て取れるのが非常に面白い。
特にこの電線の張り巡らされた景色は、いかにも日本的と言われる代表的な景観の一つでもあるし、ある時代を表現する一つのオブジェクトとしても使われているだろう。
1854年が、日本で初めて電信柱が立った年だそうだ。
その後どんどん電信柱が増えるに従って近代化していく様と、震災などの影響でそれらが瓦解していく様も描かれて、写真のない時代のドキュメントになっているわけである。
こういう機能も絵画にはあるから、背景だったり文脈だったりを知ることで面白味がますよね。
絵画に限らず芸術というのはそういうものである。
感想的な話
日本で初めての電線絵画は、電信柱が立った際に警備を任された、絵に心得のあったという樋畑翁助という武士がスケッチしたものだそうだ。
1854年のことだそうだが、すでに遠近法も踏まえたような精緻な風景画はそれだけでもほうと思ったものだ。
どんな技術でもそうだが、当初はやはり軍事的な側面で、いち早く情報を伝えるための仕組みとして導入されたものだった。
そのため、電信柱と呼ぶわけだ。
この電信技術と同時に郵便サービスも出てきたため、絵画においても同列に描かれる物も多かったらしい。
電線上で郵便物を運ぶ天狗がぶつかるというユーモラスな絵である。
そのほか、商店のチラシに郵便料金を載せることで手元に置いてもらう工夫をするチラシが登場するなど、本筋とは関係ないが、私は長らく広告業をやっていることもあるのでこうした工夫というのはつい面白がってしまう。
その後家庭や街灯などの送電に生かされるようになるのは87年頃からだとか。
私が子供の頃はまだ電信柱と読んでいた記憶があるが、正式には電力柱だそうな。
そうして電燈が登場し始めた時は、太陽と月の明かりの次に明るい、遠くまで届くよ、なんて言われていたそうだ。
初めはやはり銀座や浅草、吉原などの栄えた街から導入され始めたそうですね。
小林清親「浅草蔵前夏夜」
電燈の明るさを示すためにカラーと白黒を色分けするあたりが絵心という物だろう。
そうして新しい技術が普及していく中では必ず事故が起こるものだが、帝国議事堂で漏電による家事が発生し、消失してしまうほどになったそうだ。
すると、電気といふは危険なりけり、とか言って解約が相次いだとか。
時代が変わっても、いわゆる民衆と呼ばれる人たちの態度は変わらない、という証左といえるだろう。
その後どんどん普及して行ったのだけど、半世紀立とうとする1895年頃には「電線って景観乱してね?」という論調が早々に生まれていたらしいね。
一方で近代化の象徴として積極的に描いていく人もいるわけだから、保守と革新はいつでもどこでも何かで拮抗しているのかもしれない。
こちらの絵は青を基調に印象派的なタッチで描かれているが、非常に綺麗な絵だなと感じる。
夕暮れ、明け方の風景っていいですよね。
後半の展示では、生まれた時から電線の風景画当たり前だった画家たちの絵も登場するのだけど、あえて描く人とあえて描かない人と、それぞれの価値観も反映し始めるのも興味深い。
このあたりは、言われなければなかなか気がつかない類かもしれない。
特定テーマで区切る企画展の面白さというのはこういうところだろう。
電線と音楽
さて、こんな電線絵画展で紹介するのは、アメリカ、シカゴのバンド、Tortoiseである。
ポストロックと呼ばれた音楽の代表的なバンドだが、彼らの影響は音楽性もさることながら、音楽の制作工程である。
今では当たり前になった、録音した音をエディットして作るやり方、プロツールというソフトを本格的に使い始めたという人たちである。
時は90年台だが、当時の最先端であったと言える。
そんな彼らの2009年リリースのアルバム『Beacons Of Ancestorship』のジャケットは電線で切り取られた空である。
音楽自体は落ち着きのある大人なロックだ。
近代的な空気も感じるインストミュージックなので、ぜひ観覧のBGMにでもしてもらえたら幸いである。
TORTOISE - HIGH CLASS SLIM CASE FLOATIN' IN - LIVE
ちなみに、この展覧会ではデンセンマン音頭のレコードも展示されている。
まとめ
全体的に派手さや鮮やかさよりも、静かなノスタルジーを感じるような構成だが、この静かな感じは日本の絵のいいところだと思っている。
静かと言いながらも、絵の中の人たちはとても賑やかで表情も豊かだし、時代の変化に心躍る様も観て取れるからとても面白い。
正味1時間かかるかかからないかくらいのボリュームで、解説も丁寧でポイントをしっかりと抑えているので、飽きずに最後まで楽しめるのもいいところだ。
大規模展覧会だと疲れてしまうからね。
正直期待していた以上に楽しめたので、図録も買ってしまった。
絵画好きだけでなく、歴史好きにもおすすめの展覧会である。