モンドリアン展 純粋な絵画を求めて
コロナ禍とあって、平日街中は働く人たちも含めてかなり人の出は少ない。
休日の方が多いのではないか。
出社しても客先はリモートということが増えているので、とりあえず会社に来させられるサラリーマンの悲哀よ。
そのおかげで、平日休みだと快適で良いですね。
これ好機とてモンドリアン展へ。
みたことのあるあの赤と白のあの印象的な抽象画、なるほどあれを描いたのがモンドリアンという人か、というのを知ったのはこの展覧会の企画を見てである。
カンディンスキーとかと思ってた。
私はあんまり芸術的な感性が豊かではないので、抽象絵画が何をしようとしているのかが分からない。
しかし、面白いもので勉強すればそれなりにふむふむなどと言うことくらいはできるようになるわけだ。
そんな訳で、非常な空いていて快適なモンドリアン展へ。
モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて
雨の中、新宿のど真ん中にある損保美術館へ。
繁華街からは離れているので、意外と周辺は落ち着きがある。
【開催概要】
モンドリアン(1872-1944)生誕150年を記念して、オランダのデン・ハーグ美術館所蔵のモンドリアン作品50点、国内外美術館所蔵のモンドリアン作品と関連作家作品約20点を展示します。(略)
モンドリアンの絵画構成は、デザイン領域まで影響を与えています。(略)
日本で23年ぶりの待望の「モンドリアン展」です。
【開催期間】
2021.03.23(火)- 06.06(日)
参照:
余談だが、会社の子の携帯ケースが、モンドリアンの絵画だったな。
個人的見どころ
個展、回顧展の良いところは、その画家の画業を初期からたどり、どんな変遷で彼らが独自の表現にたどり着いたかがわかるところだ。
抽象画は、悪い言い方をすれば誰でも描けそうなものだが、しかしやはりただの模様ではないのである。
モンドリアンも、初期は印象派的なタッチの絵画から始まっていたようだ。
同時代の画家なので、そりゃ影響も受けるよね。
しかし、早々にセザンヌ的発想というか、写実的な絵画から離れて色彩や形態に関心が向うらしい。
しかし、点描と言えばジョルジュ・スーラが有名だが、彼の作品にみられるような明るさよりは、一見して正直不気味でさえある。
絵のタッチは点描やキュビズムなども経て、また色彩はまさか構築と呼ぶべきものになっていく。
とはいえ、この頃は作風が前後しているというか、引き続き印象はな絵も描いており、点描なども駆使した様々な画風を披露している。
そこから幾人かの同士も得て、線と色彩を組み合わせた例の作風へと発展していくらしい。
初期の絵においても、その萌芽と思える表現は見つけられるところがあり、本人もそうしたコメントをしていたのだとか。
絵画とはなんぞや、みたいなことをずっと考えていた人なんだろう。
経済的に困窮していた時期もあったため、その間はやりたいことの別で発注に応じた絵画も書いていたというが、そこにさらりと自分の表現欲求も忍ばせていたとか。
ところで、抽象絵画においてしばしばタイトルに冠せられるCompositionという言葉だが、日本に直訳すると組成、構成となるのだが、絵画における構成のみを抽出する、というような意味なのだろうか。
さきにも出したカンディンスキーについては、バウハウス展なんかでも見て、そこで初めて抽象画の面白さの一端を感じた思いがしたが、それらと比べてもモンドリアンの絵の方がさらにストイックな印象だ。
見えているものを1番シンプルな構造に置き換えていく、ということをバウハウスの授業ではやっていたらしいが、そこから具体的なものでなくても、奥行きや色彩、構造を感じることはできるのであったらそれが抽象画の一つの側面であるというが、構成要素が少なくなればなるほど抽象度は高まり、やはり線と色にしか見えない訳だ。
本当に線と色を描いただけだ、と言われればそうなのかもしれないが、そこに何を求めたんだろうか、というのが掘り下げる際の面白いところだし、何らよりこの人は考えて描いている訳なので、そこには必ず意図がある訳である。
ちなみに、色彩は抑えて線の表現で画面に動きをつけたような絵画も。
両端の線が細くなっており、太い線との対比で前後関係や遠近感のようなものが見えはしないか。
と、まあ言ってみたところでよくわかっていないんだけどね。
とはいえ、やはり生で、目の前で見ると80cm四方とかあるので、目の前で、視界一杯にみているとやはり違うよ。
静かにみられるので、よくわからん・・・とか思いながら探してみるのもとても楽しいのでおすすめである。
モンドリアンと音楽
さて、そんなモンドリアンの絵画にマッチしそうなのは何かしら、というとやはりこれだろう。
世界のスーパーマス/ポストロックバンド、Battlesである。
親も音楽家であり、いまや現代音楽に振り切ったタイヨンダイはじめ、初期はハードコアバンドや、マスロックの先駆的なバンドにいたメンバーで構成されている。
バンドとして初期は特に実験的な色が強く、ミニマルな展開が終始する、はっきり言って地味な音楽だった。
しかし、1stフルアルバムではそこにポップ性が備わり一気に波及力を強めた。
その後2ndで1人脱退、さらに今はもう1人脱退してしまい、メンバーは2人となっている。
そんな2人体制で昨年アルバムをリリースしているが、ますますキテレツになっていて驚いた。
映像もちょうどぴったりだった。
生演奏を軸にしながらも、その場で音を録音して、ループさせて構築していくようなスタイルなので、ライブは本当に忙しそうだ。
音楽的にはポップとは言ってもやはりキテレツ、構築的でかっちりしているようでだいぶ変な音楽だし、なんのこっちゃ分からん、という人も少なくないだろう。
しかし、彼らもまた音楽の探究者である。
そんなスタンスや変遷、音楽を通して見えてくる音像も、モンドリアンの作品と通じるところがあるのではなかろうか。
まとめ
音楽、絵画によらず、表現の根源は通じるところがあるだろう。
一見意味不明でも、その表現の根源を探ることで、たとえ感性が乏しくても少しでも理解には繋がるものである。
少なくともそうは思えると、やはり見ていて面白いからね。
絵の横に解説文も載っていたが、正直それを読んでもピンと来ないところも少なくないとはいえ、図録も買ったのでまた改めて眺めながら考えてみよう。
わからないものをわからないものとして距離をとるのではなく、それはそれで向き合ってみるのも、結構いい暇つぶしになるよ。