美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

絵画鑑賞におけるライブ性の価値 -ルノワール展(2016)の思い出

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この連休では観たい展覧会もたくさんあったのだが、この体たらくでそれも叶わず、なんなら体調不良でここ2日は半分以上寝ていたので、この連休なんやねん、という感じである。

 

せめてもの成果は部屋が片付いたことと、しっかり寝られたことだろうか。

 

日時指定にすると、営業させている方がコストはかかってしまうんだろうな。

 

仕方ないところはあるにせよ、やっぱり残念だ。

 

 

で、新規には行けないので、昔行ったやつを思い出すコーナーである。

 

私は大学の頃からちょくちょく絵を観に行ってはいたけど、当時はなんとなく以外の何者でもなかった。

 

特に画家の名前も知らないし、印象派という言葉も知らなかったくらい。

 

そうなるとなぜ観に行っていたのかもちょっと謎だが、そんな私が明確に絵を熱心にみるようになったタイミングがあった。

 

それは、5年前に国立新美術館で開催された『ルノワール展』であった。

 

オルセー美術館オランジュリー美術館所蔵 ルノワール

実はこれを書くまで、上野開催だと勘違いしていたことは内緒だ。

 

【開催概要】

本展覧会は、両美術館が所蔵する、100点を超える絵画や彫刻、デッサン、パステル、貴重な資料の数々によって画家ピエール・ オーギュスト・ ルノワール(1841-1919)の全貌に迫ります。
(中略)革新的な印象派の試みから、伝統への回帰、両者の融合へと至る軌跡も浮かび上がるでしょう。画家が辿った道のりは、常に挑戦であり、終わることのない探究でした。
そして、このたび、ルノワールの最高傑作《ムーラン・ ド ・ ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年)が日本ではじめて展示されます。

 

【開催期間】

2016年4月27日(水)~8月22日(月)

出典:

オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展|企画展|展覧会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

 

何を隠そう、この”ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会”が、私が最初に絵画を生で見ることの意義を感じた作品であった。

 

この時初来日だったんですね。

 

と言って仔細に作品については流石に覚えていないので、お茶を濁すためにルノワールをちょっと調べておこう。

 

色彩画家ルノワール

日本では喫茶店の名前にもなっているので、少なくとも聴いたことのある人は存外多いだろう。

 

私もその一人であった。

 

元々は磁器職人として若くから働いており、画家を目指すようになったのは20歳を過ぎてからというから結構遅咲きと言えるだろう。

 

得てして有名人は幼い頃からその実力を、なんていう逸話があるわけだが、彼はそうでない。

 

しかし、早々に才能が見出されて、23歳ではすでに賞を受賞するなど、単に出会うタイミングだけの問題だったとも言える。

 

 

彼は印象派の画家として紹介されることが多く、実際その頃に活躍していた画家である。

 

印象派の絵はとても華やかで綺麗なものが多いので、世界的にも人気があるが、このルノワールは日本でも人気の画家の一人である。

 

日本の画家でも彼に教えを乞うた人がいるんだけど、彼の絵は見れば大体この人のものだとわかる。

 

割と中期以降とかになるのかもしれないが、色使いや、特に女性の顔立ちなどが非常に特徴的なのである。

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ピアノを弾く少女たち

こちらの絵はいくつかのパターンがあり、そのうちの一つは横浜美術館に収蔵されているんだけど、全体にビロードのような筆致に緑と青の中間のような色合い、丸みを帯びてやや垂れ目がちな顔立ちは、彼の好みによるのだろか。

 

ヌード画なども書いているが、全体に豊満な体を描くことが多く、デッサンの正確さよりもふくよかさが強調されていたり、その割に顔が幼く写るのは、彼なりの女性美の中に少女性みたいなものがあったのだろうか。

 

別の展覧会で展示された作品は、肖像画だが傑作の一つと言われているものであった。

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イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢

知人の娘さんだったかだと思ったが、髪の毛の柔らかさなど実に少女らしい可愛らしさを描いている。

 

ちなみにこの絵の展覧会の際のキャッチコピーは、某アイドルグループを意識したものだったが、だいぶ批判されていたのはまた別の話だ。

 

個人的にはちょっとロリコンだったんじゃないかと密かに疑っている。

 

それはともかく、こうした女性を描いたものが有名だし、私もよく見るが、時期により画風が違っているし、風景画や男性画ももちろん書いているし、もう少し俯瞰的な風景もよく描いている。

 

そんな中の一つが、かの展覧会の目玉でもあった”ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会”である。

 

輝く絵画

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ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

改めてこちらがその作品だ。

 

当時会場でこの絵を見た時に、ものすごく輝いて見えたんですよね。

 

それこそハッとするくらい個人的にはエポックメイキングな体験だった。

 

今にして思えば、証明だったり油絵具の凹凸だったりで、物理的なキラキラ感が眩しかったことは実際あるだろう。

 

でも、そもそも印象派の画家にとっての一つの大きなテーマが光を描くことだと思うが、そのために外に出て、その時の日差しだったり明るさを表現することに腐心していたわけだから、その企てが見事にうまく行ったということだろう。

 

そして、そのキラキラ感は印刷された図録などではわからないもので、これは実際の絵画を見ないとわからないのである。

 

 

ちなみにルノワールは、自身の描く絵について「世の中目にしたくないようなものがたくさんある。だからせめて絵画だけは美しいものを描きたい」といったようなことを大事にしていたとか。

 

彼の絵は須くキラキラして、色合いも相まって桃源郷のような世界観をしばしば見せている。

 

この絵についても他の絵についても、そうした価値観で描かれているからこそなのかもしれない。

 

絵画もライブに若くはなし

私は音楽も好きなので、ライブへよく行くんだけど、CDで音楽聴けばいいじゃんという人も当然いる。

 

しかし、会場で聴く音楽はただの音符の羅列ではなく、振動も含めた体験に変わるのである。

 

絵画も同じで、ただ綺麗な絵だなという以上に、視覚に対する占有率も上がるし、凝った照明で見せられることで情報量が圧倒的に変わる。

 

特に、印象派の絵画は登場いた当初は未完成だと揶揄されていたくらい、一つ一つの事物は曖昧だったりラフだったりして、何が書いてあるのかわからないことがほとんどだ。

 

しかし、不思議なことに少し距離を置くとそれらが判然としてくるのである。

 

これは一種の錯覚を用いたものなわけで、それこそ点描と呼ばれる画法も同じく感覚上で色が混ざり合うことを狙った技法だったりして、実はちょっと科学的な視点で描かれているところもあるのである。

 

まあ、そんなことは詰まるところどうでも良くて、生で本物であるからこそ伝わってくる何かが芸術にはあるのである。

 

営業が再開したら、また行きたいですね。