美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

ヴァロットン 黒と白

コロナが少し落ち着いて以降、音楽エンタメにおいては海外アーティストの来日もバンバン増えており、嬉しい限りだ。

 

そして美術館においても、海外の美術館とのやりとりも再開できたのか、様々な企画展が開催されており、こちらも非常に嬉しい限りである。

 

日本の絵も等しく見ているのでそれはそれでいいのだけど、せっかくならいろんな展示が見たいし、なんなら海外があかんからと一時やたら北斎ばかりになったのは、正直企画力のなさではないかと思ってしまった。

 

そんな中でも気を吐きまくった山種美術館千葉市美術館、大田記念美術館などは引き続き支持していきたいところだ。

 

 

さて、そんな私のお気に入り美術館の一つが、東京・丸の内にある三菱1号美術館。

 

海外の作家の作品を中心に収蔵しており、特にルドンの大きな静物画もコレクションしているのだけど、その中の一つとしてフェリックス・ヴァロットンという人の作品も多く持っている。

 

現在そのヴァロットンを中心とした企画展を開催しており、今日ようやく行ってきたんだけど、これがよかった。

 

これまでも彼の作品は同時代の印象派近辺の画家の展示されていたので見たことはあったし、実はちょっと好きだったのでこうしてまとめてみたれるのは嬉しいことである。

 

作品数も多いボリューミーな展示だったが、満足度は非常に高かった。

 

ヴァロットンー黒と白

ヴァロットンは版画作品を中心に作っていた人で、同時代にはボナールやロートレックもいるんだけど、私はどちらも大好きで、彼らとも交流があったというだけあってか知らんが、やっぱり彼の作品もすごく楽しめた。

 

【開催概要】

19世紀末のパリで活躍したナビ派の画家フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)は、黒一色の革新的な木版画で名声を得ました。独特の視点と多様な表現、そして卓越したデザインセンスをもつヴァロットン作品は、まるで解けない謎のように今でも私たちを魅了してやみません。中でも真骨頂ともいえるのが、木版画です。

三菱一号館美術館は、世界有数のヴァロットン版画コレクションを誇ります。希少性の高い連作〈アンティミテ〉〈楽器〉〈万国博覧会〉〈これが戦争だ!〉の揃いのほか、約180点のコレクションを一挙初公開します。黒と白のみで作り出された世界に焦点をあて、未だ捉えきることができないヴァロットンの魅力に迫ります。また、当館と2009年より姉妹館提携を行うトゥールーズ=ロートレック美術館開館100周年を記念した、ロートレックとの特別関連展示も併せてお楽しみください。

【開催期間】

2022年10月29日(土) 〜 2023年1月29日(日)

出典

ヴァロットン―黒と白|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

 

 

正直版画作品って、これまでそんなに興味深く見たことってなかったんだけど、彼の作品はデザイン性含めてとてもよかった。

 

また、風刺画なんかで有名になったところもあるためか、象徴的に表現されることで含蓄があって、これってなんだろうと考えること自体が面白い。

 

個人的みどころ

今回は代表的な版画作品だけでなく、油彩画も展示されていたのが新鮮だった。

 

彼の作品だけでなくロートレックや、同じように版画作品も多く残したヴェイヤールの作品もあり、こういう作品をまとまってみる機会自体が初めてだったので、何かにつけよかった。

「自画像」

まずは自画像。

 

当初はやはり困窮していた時期もあったそうだが、彼はそれでもスーツでビシッと決めていたそうだ。

 

写真も残されているんだけど、この絵の通り厳格そうな人であったようだ。

 

他方で作品自体はポップなものも多く、見ていてつい笑ってしまうような作品も少なくない。

アレクサンドル・デュマ・フィス

彼は肖像画なんかも多く手掛けたのだけど、こうしたデフォルメした物が大くあり。

 

可愛らしさの中に絶妙に毒っけのものが多く、そこに風刺画家としての特徴だろうか。

 

当代の政治家や有名人をこうして描いていて、のちのキャリアでも引き合いのあった肖像画、私も描いてみてもらいたいと思ってしまう。

 

いうてもキャリア初期は、風刺画ばかり描いていたわけでもないようで、歴史上の有名人を描いていることも。

カエサルソクラテス、イエス、ネロ』

なんでこの4人を同時に描いたのか、カエサルはローマの群雄、一時代を築きながらも最後は暗殺されてしまった。

 

ソクラテスは言わずと知れた哲学の大家、誰もが授業で習う存在だ。

 

エスは言わずもがな、キリスト教の始祖で、歴史上の誰よりも影響力の強い人だといえるが、当時はただの大工だったという。

 

そしてネロ、確かにかつての皇帝でローマを再建した大きな功績はあるものの、他方で暴君として歴史に名を残す存在である。

 

だいぶ色の違う4人と感じるが、ちょっと見方を変えれば何かの皮肉だろうか、と思えなくもないが。

『美しい夕暮れ』

彼の作品にはいくつか風景画もあるのだけど、こちらもその一つ。

 

なんとなく浮世絵の影響を感じさせるところがあるが、実際当代の他の画家同様、彼も日本美術に関心を寄せており、自身でもコレクションしていたそうだ。

 

浮世絵は、当時の日本では今でいう漫画みたいなもので、芸術作品として評価されているものではなかったが、たまたま海外へ輸出品の包み紙として海を渡った際に目に留まり、これおもろいやんけ、といって特にフランスなんかで注目が集まり、ジャポニズムなどという概念が生まれるに至ったわけだ。

 

今も昔も日本を発見するのは日本人ではない。

 

それはともかく西洋画といえば写真と見紛うような写実性が特徴なわけだが、その表現も何年も経てば色褪せて見えてしまう。

 

さらに写真技術が出て来れば、写実性そのものの価値ってなんだろう?もっといえば絵画ってなんだろうという問いに立ち返るわけで、その時に平面的で、どこから見ているかわからないような視点の取り方、目の前を塞ぐようなものを置く構図や、何より非現実的なまでの派手な色使いなど、確かに写実性にこだわる世界から見ればなんだこれ!と思うよな。

 

 

展示の中盤からは、彼の代名詞的な表現である風刺画や群衆を描いた絵をまとめて展示している。

『歌う人々(息づく街パリ II)』

こちらは平和的な光景、街中で楽器隊が演奏し、道ゆく人が任意に合唱に参加する。

 

右端には母娘と思われる2人が駆けつけたり、手前では歌詞カードを見ながら練習している人たちの姿も。

 

当時のパリは近代化がどんどん進んでいた頃だったので、そうした新しい時代に向かう時の高揚感みたいなものが感じられるように思う。

 

ただ、たまたま展示の傾向がそうだっただけなのかもしれないけど、どちらかというと光の側面よりもその影を描くところに真価があるように思う。

『事故(息づく街パリ VI)』

こちらは馬車に轢かれてしまう人。

 

馬を制する人たちは必死に止めて、操馬主は、やっちまった・・・と言った感じだろうか、それに比して周りの人の他人事感満載の顔、轢かれた当人は既に事切れているように虚無の表情だ。

 

なかなか凄惨な場面だけど、最近でいえば電車事故の現場って存外こんな感じなのかなと思ったり。

『学生たちのデモ行進(息づく街パリ V)』

こちらはデモ行進をする学生と、それにより往来を遮断された人たちの姿。

 

真ん中の黒の集団がデモ隊だが、こうして白と黒の色分けでメインとその他を分けて表現しているのだけど、後々もこの白と黒のコントラストの見せ方がどんどんすごくなっていく。

 

何か大きな主張があって歩いているはずの人たちの顔を見ると、怒りに溢れる人もあれば単に祭りの神輿を担いでいるような呑気な顔をしている人もあり、また群衆も興味深そうに見る人もあれば困った顔をする子供もいたりと、一見画一的なようでよく見ると表情豊かに描かれており、しかも版画なのでそんなに情報量が多くないにも関わらずこれだけ豊かに描けているのはすごいなと思うよね。

 

 

彼はしばしば子供の姿も描いている。

『可愛い天使たち』

この作品は、タイトルはいかにもほっこりするのだけど、描かれているのは警察が犯人を連行するところを、子供達が囲んでいるという構図だ。

 

展示の紹介では、子供たちの無邪気さが時に残酷なものになる、的なことが書いてあったけど、個人的には世の中の大半の人は本当はこうした好奇心、野次馬根性みたいなものを持っていて、体面があるからそうしないだけで、実際はこんな小汚いところがあるという皮肉かなと思った。

 

左の方で、唯一こちらを見ている子がいるが、なんだか嫌な表情をしている。

 

彼の作品は、群衆の中でわずかにこちらを見ている人がいて、それが何かを示しているのかなと感じさせる。

 

 

そして極め付けはこちらだろう。

『自殺』

入水自殺者を引き上げる絵である。

 

全体に暗くて暗鬱とした空気があるが、右下には引き上げに来た人、左下には自殺者の顔だけが浮かんでいる。

 

ぱっと見それとわからないくらいだけど、なんだか無念を隠しきれないような印象だ。

 

そして橋の上にはそれを眺める野次馬の姿。

 

白抜きで円が描かれているだけだが、どんだけいるんだと。

 

私もどちらかといえば皮肉屋なところがあるけど、他人事として眺めるこれらの人たちっていつの時代にもいるんだなと思うところだ。

 

別に彼らが何かをしたわけではないにせよ、なんかモヤモヤするような思いがするのである。

 

他にも多くの作品があるけど、切れ味も鋭いがなんかずんと重たい物をこっそり投げかけてくるような感じがして、見応え抜群である。

 

 

彼は後年金持ちの令嬢と結婚したことで、経済的にも安定し、かつ暮らしも徐々に代わっていったそうだ。

 

画家としての評価も高まり、海外からも発注がくるなどまさに順風満帆。

 

その影響もあってか、そうした社会的な風刺よりもより身近な物をモチーフにするようになり、ボナールらと同じく親密派などと呼ばれるような作品も。

 

展示ではそのボナールやヴュイヤール、ロートレックらの作品も展示されている。

 

先にも書いたがボナールもロートレックも好きなんだけど、ロートレックとは彼も特に親交があったとか。

 

そんなロートレックの絵は洒落ていて華やかなんだけど、やっぱりちょっと影がある感じだなんともいいのである。

 

このセクションでは彼の商業的な活動の絵画を中心に紹介しているけど、雑誌の表紙なんかも手がけていくためか、デザイン性が洗練されていくような印象だ。

『「ニブ」第2号』

こちらはNiBという雑誌の表紙だが、1号はロートレックが手がけたそうだ。

 

挿絵の仕事も多く手がけており、メッセージよりも作品に寄せるものになるため純粋に絵画デザインとして面白い。

シューマンに捧ぐ』

こちらは音楽家シューマン、他にもドストエフスキーなんかも依頼に応じて描いている。

 

彼のキャリア初期からの作風で、この辺りは素直にイラスト感があって親しみやすい。

 

 

これ以降は先に書いたような密室をモチーフにした絵を描いている。

『怠惰』

裸婦像は伝統的なモチーフの一つだが、完全に気の抜けた1場面を覗き見しているような作品である。

 

指先にじゃれつく猫も含めて、リラックスした雰囲気があるが、タイトルは怠惰である。

 

ちょっと現代的な空気感のあるのが、新時代的な感じがするところだ。

 

 

こちらはやや意味深は作品。

『もっともな理由(アンティミテ IV)』

連絡の一つなのだが、そのテーマは結婚生活だとか。

 

2人は夫婦なのかしら?と思いつつ、場所は書斎(=仕事場)だとすると、女性はその秘書か助手だろうか。

 

あくまで仕事で一緒にやっていると見せかけて、実は不倫関係にあるというような作品だろうか。

 

絵とタイトルで見せるやり方は、シュールレアリズム的な見せ方も思いおこさせるな。

 

 

また一連の作品にはこんな洒落たものも。

『フルート(楽器 II)』

音楽関係とも繋がりがあったそうで、演奏家をモチーフにした作品で、他にもチェロ、バイオリン、ピアノなども描いており、いずれも洒落た絵なので部屋に飾りたくなる。

 

また猫がじゃれついているが、猫好きだったのかな。

 

それはともかく、白と黒のみながら非常にスタイリッシュで、単純ん光と影だけでないところも描かれているのがすごい。

 

調度品のタンスのところはやや細かい装飾具も描かれているあたりで、しっかりと技も見せている。

 

 

そして、私がなぜか気になったのがこちらの作品。

『取り返しのつかないもの』

一見何気ない夫婦の一場面のようだが、男はあらぬ方向を見ている。

 

無表情ながら倦怠感のような空気を醸しているあたり、取り返しのつかないものってなにかな?と考えてしまう。

 

ただ、私は右の方に描かれている植木の鉢、ここに描かれている絵が気になって仕方なかった。

 

多分魚なんだけど、アニメのキャラクタみたいなコミカルな顔をしており、独特の違和感を醸しているのだ。

 

男性はそちらを見遣っているので、ひょっとしたら「なんでこんな変な柄のやつ買っちゃったんだろう・・・」という後悔なのかなと思うとちょっと笑えてしまった。

 

自分でもたまにしょうもない物を買ってしまい、なんとなく眺めてみてはなんでこれ買ったんだっけ?としみじみ考え込むことがあるので、変な共感を勝手にしてしまっただけなんだが。

 

 

この頃の最高傑作とも言われているらしいのがこちら。

『外出』

玄関先の何気ない場面を描いているが、画面の半分以上が黒塗りという大胆な構図。

 

外は明るく中は真っ暗という、単純に光と影のコントラストとも取れるけど、一方で家の中にいることがまるで暗黒の時間とでもいいたいのだろうか。

 

そうしたメッセージ性を考えるのも面白いし、単純に絵として直感的にセンスいいなと感じてしまう。

 

 

展示の終盤ではさらにモチーフも広がっていくが、特に最後の方では戦争画を描くようになったとか。

 

自身も軍隊への従軍を志願したものの、年齢制限でそれができず落胆してしばらくは創作活動自体も止まっていたというから、本気だったのだろう。

『有刺鉄線(これが戦争だ! III)』

これが戦争だという一連の作品になるが、有刺鉄線が一つの象徴のようにしばしば描かれている。

 

満点の星空の元、有刺鉄線に絡め取られる兵士たちが描かれており、色のなさが却ってなんともいえない虚しさみたいなものも感じさせるように思う。

 

他にも一般市民が巻き込まれる場面や、暗闇で敵襲を受ける場面など、なかなかショッキングな場面も描かれている。

 

今まさに展開されているウクライナ侵攻でニュースで伝え聞く姿と被るので、戦争というものの普遍的な姿なんだろう。

 

 

彼は木版画だけでなく、油彩画も残しているが、最後まで画家としては成功していたようだ。

 

しかし、がんにかかり、手術をしたものの、その3日後になくなってしまったそうだ。

 

ちなみに誕生日は12月28日、その翌日だったという。

 

60歳というまだまだこれからというところだったので、無念さもあったろうな。

 

 

彼の作品は、展示会で数点は見かけるので見たことはあったけど、こうしてまとめて見ると色々見えてきて面白かった。

 

また、版画自体正直私はあんまり興味深く見たことはなかったのだけど、なるほどそういう表現なんだなということも知れたので、とても良かったね。

 

彼は新しい版画の時代を切り開いたという評価もあるので、日本ではあまり認知度は高くないようだが、ちょっと見におしゃれで、小難しさもない、可愛らしいキャッチーな作品も多くあるので、普段あまり絵とか見ない人にもおすすめである。

 

ヴァロットンと音楽と

さて、そんな彼の作品と音楽とでいうと、こちらなどどうだろうか。

 


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今や現在作家の大家の1人となりつつある町田康が率いたINUの唯一のアルバムの1曲目を飾る”フェイドアウト”。

 

曲はセックス・ピストルズやPILの影響も強いためかキャッチーでポップ。

 

歌詞は当時からその文学性を発揮しているわけだが、彼の視点も社会の有象無象の群衆のような人たちへ向けられている。

 

また家についての皮肉っぽい曲もあるし、最後の曲もそれを総ざらいするような歌詞である。

 

代表曲”飯食うな”含めて、特に風刺画作家としてのヴァロットンと通じるところがあるのではないかと思った次第だ。

 

既に古典の領域と言える音楽だが、その視点や価値観は今でも本質的に変わらない価値を持っていると思っている。

 

 

まとめ

なんとなく気になっていた画家ではあったが、今回は作品も多く、キャリアを総括するような展示校正で、また会場の装飾も凝っていて面白かった。

 

同時代の印象派と呼ばれた画家たちと比べると客入りもそこまで多くなかったが、グッズストアではTシャツコーナーにも多くの人がいたのが印象的だった。

 

それだけデザイン的な観点でも洗練さがあって魅力的ということである。

 

表現は極めてミニマルながらそこに情報量を載せるのは、それだけ想像力を喚起させられているということに他ならない。

 

こういう作風って私は大好きなので、本当におすすめの展示であるよ。