美術館巡りと音楽と

主に東京近辺の美術館、企画展巡りの徒然を。できればそこに添える音楽を。

生誕110年 香月泰男展

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もう終わってしまったのだが、先日観に行った展覧会について。

 

香月泰男さんという人の回顧展で、昨年から全国巡回していたようだ。

 

私はこの人のこと自体知らなかったのだが、ちょいちょい足を運んでいる練馬区美術館だったし、個人に焦点を当てた企画展はできるだけ足を運んでおきたいなと思っていたので、最終日に滑り込みで行くことに。

 

結果、とても良くて色々と考えさせられるものであった。

 

彼は第二次大戦で出兵しており、一時シベリアで捕虜として捕まっていたそうだ。

 

幸にして生きて帰国することが出来たので、画家としてさまざまな作品を残したわけだが、代表的なのがシベリアシリーズと呼ばれる、この捕虜の経験を題材にした一連の作品だった。

 

ポスターにもあるように、この時期の絵はほぼ白黒で表現されたもので、モチーフもモチーフなので明るい綺麗な絵ではない。

 

しかし、不思議と陰鬱な気持ちにはならなかったな。

 

ムンクの絵はずっと陰鬱さがあって私は苦手だなと思った記憶があるが、リアルに生死の恐怖の最中にあった人のその経験に基づく絵がなんでこんな受け取り方になったのか、そんなことを考えながら観ていた。

 

また、いくつか画像は貼ろうと思うけど、画像で見るとただ暗いだけの画面にしか見えないかもしれない。

 

かなり抽象化された絵を描いていることもあるが、この絵は生で現物を見ると見ないとでだいぶ印象が違うだろう。

 

画面の凹凸や、ナイフで引っ掻くことで描いているため、平面プリントではよくわからないのだ。

 

そういう意味で、改めて絵画も現物を見てこそと思ったものだ。

 

ともあれ、図らずもこんなご時世の中で観ると、非常に印象的な作品群だった。

 

生誕110年 香月泰男

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彼は囚われの身になっている間もずっと絵を描きたいという思いに駆られていた。

 

実際に画材道具も肌身離さず持っており、そんな思いを描いた作品もある。

 

先にとても陰鬱な環境のはずなのに、また暗い図柄であるにも関わらずそうした感じがない、と書いたが、ひょっとしたら彼の中の希望が映し出されているからかな、とも思ったものだ。

 

【開催概要】

太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いたシベリア・シリーズにより、戦後美術史に大きな足跡を残した香月泰男(1911-74)の画業の全容をたどる回顧展を開催いたします。
山口県三隅村(現・長門市)に生まれた香月泰男は、1931年に東京美術学校に入学し、(中略)1942年に応召し、復員した1947年以降は、故郷にとどまって身の回りのありふれたものをモチーフに造形的な挑戦を繰り返しました。1950年代後半に黒色と黄土色の重厚な絵肌に到達した香月は、極限状態で感じた苦痛や郷愁、死者への鎮魂の思いをこめて太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描き、「シベリアの画家」として評価を確立していきました。
(中略)
本展では、シベリア・シリーズを他の作品とあわせて制作順に展示します。この構成は、一人の画家が戦争のもたらした過酷な体験と向き合い、考え、描き続けた道のりを浮かびあがらせるでしょう。戦争が遠い歴史となり、その肌触りが失われつつある今、自身の「一生のど真中」に戦争があり、その体験を個の視点から二十年以上にわたって描き続けた、「シベリアの画家」香月泰男の創作の軌跡にあらためて迫ります。

 

【開催期間】

2022年2月6日(日)~ 3月27日(日)   ※途中展示替あり

 

出典

生誕110年 香月泰男展 | 展覧会 | 練馬区立美術館

 

遠くになったと思っていた戦争は、未だに身近なものだったわけだが、当時加害者でもありある意味被害者でもあった画家の観た世界はどんなものだったのか。

 

個人的みどころ

彼の初期はこの坊主頭の少年がよく登場する。

 

彼自身を投影したものだと言われているが、顔は描かれておらず、後ろ向きだったり微妙に影になっていたりという感じだ。

 

どこか暗鬱さのある画面で、コメントでも「死の誘惑に駆られたこともある」といったことを言っている。

 

特に中学生くらいの時期のようだが、とはいえある種普遍的な生についての懊悩だろう。

 

ちなみに、こういった絵を描く際に彼はモデルは使っておらず、自らが彫った彫像を見ながら描いたそうだ。

 

その彫像も残っており、絵の構図ごとに作っていたのだろう。

 

なんでだろうと考えると、モデルがいるとそちらに感情移入してしまうので、自分の投影として描けなかったのかもしれないね。

 

ともあれ、個人的には雰囲気が少しピーター・ドイクみたいだなという印象もあった。

 

その後第二次世界大戦が始まると、彼は満州へ出兵させられ、そこでソ連軍の捕虜となり、シベリアなどで強制労働に従事させられる。

 

彼の画業は帰国後に本格的なキャリアになるが、戦争の経験は当然作品に影響はするわけだが、それでもしばらくはそこまで強烈なメッセージ性のあるものでもなかった。

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ある時期からキュビズムに接近していくのだけど、そこから徐々に独自の画風を確立させていく。

 

彼の作品タイトルはまんまのものをつけていることが結構多い印象だが、この頃はとにかく絵を描くのが楽しかったので、描くために描いていたような感じだったのかな。

 

また、画面はどんどん抽象化され、また色彩も少なくなり白と黒の画面構成が中心になっていく。

 

そこから戦争体験をダイレクトなモチーフに描かれた作品も出てくる。

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こちらはずばり『埋葬』というタイトルだが、現地で亡くなった同僚を埋葬しているシーンだ。

 

物資もまともにない中なので、顔に薄布をかけただけの状態、こちらを向いて俯いて座っているのは香月本人。

 

この絵には本人のコメントも添えられていたが、「正視できなかった」という。

 

そりゃそうだ、数少ない仲間の喪失もさることながら、明日は我が身かもしれないという恐怖心もあっただろう。

 

この頃から明確に戦争体験を絵画に落とし込むようになったそうだが、先の表現的な探究と合わさって彼の代表作と言われるシベリアシリーズへと繋がっていく。

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シベリアシリーズは、基本的に白と黒のみで構成されており、また人物の顔は全てこのような形で描かれている。

 

安らかにも見えるし苦悶にも見える絶妙な表情だ。

 

抽象化されているので明確ではない分そこから色々と想像を掻き立てられる。

 

この絵は、作業場を移動させられる時の列車を描いたもので、捕虜なので鉄格子の向こう側に押し込められている。

 

こうした図柄だと、いかにも不安そうに見える表情たちだ。

 

シベリアシリーズでは動物を描いたものもいくつかあり、その中でも代表的と言われるのが『鷹』という作品。

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画面の下半分は真っ黒に埋め尽くされており、上部3分の1程度のとこで空と鷹が描かれており、彼は今まさに飛び立たんとしていながらこちらを向いて何か言いたげだ。

 

こちらは香月が飼っていた鷹が、足につけられたリードをちぎって飛び立ったのところをモチーフにしているそうだ。

 

その時に、ふと繋がれた鷹と囚われの自分を重ねながら、この状況から飛び去ることができる鷹を羨ましく思ったとか。

 

自分は人間だから、羽はないからね。

 

とはいえ、絶望に暮れているというよりは少し期待のようなものも抱いたという。

 

 

全体として閉塞感や先の見えない不安を描いたものが多いが、中でも殊更に印象的なのが、こちらの『1945』という作品。

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先の絵のように移動させられてる列車の中から見えた、日本兵が現地民にリンチを受けて、生皮を剥がれた凄惨な状態で道端に打ち捨てられている様である。

 

顔は例の描き方、白黒なのでぱっと見ではそこまでインパクトがないように感じられるが、この絵は生で見るとなんか虚しい気持ちにさせられる。

 

特定の誰かではない顔だからか、結局戦争の被害者と加害者というのは誰なんだろうとか思うよね。

 

出兵させられる兵士も、正規な軍隊ではなく民間人が徴兵されている。

 

国の意思として戦わされて、当然攻撃された側にとってはとんでもない自体だ。

 

ただ、他方で攻めている側も必ずしも彼の意志ではないわけだが、こうして捕まれば憎悪の対象として徹底的に酷い仕打ちもうける。

 

でも、そのことで何かが解決されるわけでもないのが虚しいと感じる。

 

結局誰が何を得るのだろうか。

 

もちろん占領した土地の資源なり人なりを取り込むことで、ゲーム的に見ればステータスが上がるというくらいはわかるが、特に今のような時代においてそうまでして得た資源からのメリットよりも、実は派生する他の国からの圧力だったりから受けるマイナスの方が大きい時代になったんじゃないかなとか思うわけだ。

 

大戦当時はまだ全時代的な価値観があったんだろうけど、今ん時代から見ると結局何なんなのだろうとか思ってしまう。

 

今はまさにロシア・ウクライナ間で戦争が起こっているので、目の前に起こっている現実としてそんなことも考えてしまう。

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こちらは『朕』という作品だが、朕は国家元首が自称する際の一人称だが、有名なのは「朕は国家なり」というルイ14世の言葉だろう。

 

日本でいえば当時は天皇がそういう存在だったわけだが、そんな天皇の言葉を聞きながら描いたというのがこの絵なので、戦争というものの主体者が誰なのか、というところだが、実は誰もいないようにも感じてしまう。

 

国という概念があるから自我のようなものが出てくるが、かといってたった一人がそれを更生しているわけでもないだろう。

 

結局のところ、一体誰がやりたんだろうかと考えるとわからなくなってくる。

 

ロシア・ウクライナではプーチンが悪者として連日報道されているが、本当に彼一人の意志で動くものだろうか、と不勉強ながらそんなことも思ってしまう。

 

今の状況では、日本も他人事ではないというところがよりヒリヒリした嫌な不安感を煽って来るのだけど、人間という生き物の因果を感じる思いだ。

 

 

その後彼は幸運にも生き延びて日本へ帰国する。

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こちらは帰国船にのるために列をなす捕虜たち。

 

右側はまさにぎっしりという感じで、左側ではどこか足取り軽く歩く姿が描かれている。

 

待ち焦がれている様が感じられるようだ。

 

そこからは色彩を伴う表現がまた増えてくる。

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こちらは『日の出』という作品だが、対になるように『月の出』という作品もある。

 

シベリアシリーズにおいても太陽の絵はあるが、真っ黒な太陽を描いているので、それに比べると何か生命のようなものを感じる。

 

赤いしね。

 

他にも戦争モチーフ以外の絵も描くようになったわけだが、最晩年に描いたのはやはりシベリアでの記憶に基づくものであった。

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この『渚<ナホトカ>』という作品は、シベリアで浜辺で寝た時の記憶を起こしたものだそうだが、よく見ると黒い帯の中には無数の顔が描かれている。

 

彼の言によれば、「この顔は日本に帰ることなくシベリアの土になった人たちを描いたように思う」とのことだ。

 

勾留中も、彼は画材道具を肌身離さず持っており、同僚の顔を描いてその遺族に送るために書き溜めていたという。

 

その絵自体はソ連兵にみつかり破棄されてしまったのだが。

 

ともあれ、無事に日本に帰った自分に対して、帰ることの叶わなかった同僚たちの顔を彼は忘れることはなかった。

 

シリーズ初期に描いた絵画では、亡骸になった同僚の顔を正視できなかったと述壊した彼だが、やっぱり忘れ得ぬもの、というのはあるだろう。

 

1974年に心筋梗塞によりこの世を去ったのだけど、もし彼がもっと長くえがいていたら、晩年の絵はもっと違う、明るい絵を描いていたんじゃないかなと勝手に思っている。

 

冒頭にも書いたけど、彼のモチーフは非常に重たいものが多い。

 

だけど、絵そのものからはそうした陰鬱さはあまり感じない。

 

その理由ってなんだろうかと考えてみると、彼にとって絵を描く行為は幸福そのものであったので、そうした感情が反映されているのかなと。

 

わかんないけどね。

 

香月泰男と音楽と

こんな彼とマッチしそうな音楽って何かなと考えてみると、なかなか難しいがこちらなどどうだろうか。


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日本の誇るロックバンド、8ottoの“Rolling”という曲。

 

流石に戦争体験を持っているような人はなかなかいないので、表現者としての幸せというか、そういうもので通じる物がありそうかなと。

 

彼らは2006年に1stアルバムをリリース、Strokesの2ndでエンジニアとして参画していた人をプロデューサーに迎えていたという話題性と、音楽性自体もシンプルでタイトな演奏にやや気だるそうなヴォーカルも含めて、日本のStrokesみたいな評もあった記憶だ。

 

特徴的なのは、彼らはドラムヴォーカル、このアフロは天然らしいがともあれヴィジュアル面でもインパクトがあるが、曲はクールな部分とエモーショナルな部分がそれぞれあって、キャリアを重ねるごとにファンクネスもありながら、とりあえずかっこいい曲をバンバン作っていた。

 

そうした音楽的な評価はコアな音楽ファンを中心に高かったんだけど、商業的にはうまくいったとは言えず、一時活動を休止していた。

 

家族もいるので、生活のためにはお金を稼がなければいけないという、多くのバンドの抱える問題に直面してしまったのだ。

 

それでも、やっぱり音楽やりたいという思いから活動を再開、2017年には6年ぶりとなるアルバムをリリースして、以降はマイペースに音楽活動も継続している。

 

俗に言うライスワークとライフワークみたいな話だけど、そんな苦悩を描いたのがこの“Rolling”という曲で、30過ぎの働いている人だったら共感できるとこ路もあるんじゃないだろうか。

 

「働いて、ぐらついて、逃げたいって、星を見る」というところから始まり、現実と理想の間での苦悩を感じるが、それでも自分にとっての幸せがなんなのかということが歌われている。

 

ほんのちょっとでも、たった一人でも、自分達の音楽を聴いて何か思ってくれるならそれでいいよって。

 

ここには彼らの純粋な表現者としてのコアがあると思っていて、実際再開以降の活動はとにかく楽しそうだ。

 

ヴォーカルはマエノソノマサキさんという人だが、ソロ名義の活動も始めたり、配信もしょっちゅうやったり、とにかく楽しそうなのがいい。

 

そして彼の価値観の大きなところが、いわゆるワンラブてやつだ。

 

ともあれ、絵を描くことがこの上ない幸せだったであろう香月さんと、音楽をやることがこの上なく幸せな8otto、どちらにも人生の在り方みたいなものを個人的には感じるのである。

 

私は昔から人生の意義みたいなものを考えがちなたちで、それはいまだに続いている。

 

一定の収入はあるが、独身で友達はいるが恋人はいない。

 

それが時々寂しい気持ちになることもあるが、他方で多分そのほかの人と比べるとそこまで悲観もしていない。

 

貯金はないので将来の不安がないわけじゃないけど、最悪自分一人で生きていく分にはなんとかなるんじゃないかと思っている。

 

ただ万が一はあるから最悪の備えは、人に迷惑をかけないためにもしておかないといけないとは思うけど、それ以外は自分にとって楽しいと思える時間にどれだけ人生を使えるかだけである。

 

それは一定満たされている状態なので、私は結構幸せだなと思って生きている。

 

自分の中にそういう思いがある人生が幸せなんだろうな。

 

終わりに

人生は理不尽に思えることの方が多いが、いずれにせよせいぜい100年もない時間である。

 

意図しないものに巻き込まれもするけど、それはそれとしてどう向き合って、せめて楽しいものを見出していけるかしかないと思っている。

 

無理に明るく振る舞う必要はないし、無理やり幸せだと思うこともない。

 

まして人の幸せをみて呻吟したり恨んだりしてもしょうがないし、妬んでも仕方ない。

 

また自分の幸せを申しわけなく思う必要もないし、めっぱい夫々で幸せになれば良いのである。

 

楽しいことが一つでもあれば、それは幸せな人生なのではないかな、なんて思ったものである。