速水御舟と吉田善彦―師弟による超絶技巧の競演―
おお
下書きのままなかなか進めなかったため終わってしまったが、とりあえず載せておこう。
なんでもそうだと思うが、凡そ表現と呼ばれるものについてはそのアウトプットが第一義なのは言わずもがなではあるが、作家の精神性というものも結構大事と言うか、それによって同じ表現が違う解釈を生むことであったり、見え方が変わったりということが起こるのが面白いところである。
私は昔から音楽が好きで、洋楽もよく聞くがいかんせん英語が堪能では無いので和訳を読んだり、あるいはアーティストのインタビューを読んだらしてその解釈を補完するわけだが、そうするとこの作品から受けるこの感じってこういうところから来ているのかしら、というのが見えてくる。
例えばNine Inch Nailsというアメリカのバンドは、歌詞は暗いし音も重たいし、パッと聴いたところでは陰鬱とした音楽であるが、しかしよくよく聴いてみるととてもポップだったり、特にライブではとてもアグレッシブだったりするのだけど、彼のバックグラウンドなんを知るとなるほどと思うのである。
ちなみに、かつてはヤク中でヤバかったが、今では映画音楽のスコアラーとしてすっかり有名だ。
しかも子沢山。
ともあれ、そうしたアーティストの内面もやっぱり興味の対象ではあるわけだ。
人間だもの。
さて、作品そのものの魅力はもちろんだけど、他方でその精神性でグッときたのが速水御舟だ。
デビュー当時からその技術力で多方面で絶賛さて、期待された存在だったようで、その期待に違わず素晴らしい作品を多く残しながら、40歳という若さでこの世を去ってしまった短命の画家である。
日本画家の多くは80以上とか100歳とかまで生きるくらい長生きだと言われている中で、圧倒的に短命であったわけだが、その画業は幅広く、作風も次々と変えながら独自の技法も確立して、着実な足跡を残した。
私がよくいく美術館が山種美術館という恵比寿にある日本画専門の美術館だが、そこで開かれた企画展がきっかけだった。
彼の残した言葉も作品紹介と合わせて紹介されていたが、こんな言葉がズバッと突き刺さってきた。
『梯子(はしご)の頂上に登る勇気は貴(とうと)い。さらにそこから降りて来て再び登り返す勇気は更に貴い』
彼の、つねに新しい画風、技術に挑戦し続けた彼の画業それ自体をまさに 体現していると言っていいだろう。
おお!とその瞬間痺れたね。
そんな彼の回顧展と、彼の弟子であった人の企画展が今回である。
速水御舟と吉田善彦―師弟による超絶技巧の競演―
【開催概要】
(略)当館のコレクションの「顔」ともいえる日本画家・速水御舟(1894-1935)と、その弟子の吉田善彦(1912-2001)に焦点をあて、彼らが生み出した超絶技巧による作品をご紹介する特別展を開催いたします。
御舟は、横山大観や小林古径らから評価を受け、23歳の若さで日本美術院(院展)同人に推挙されます。「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」という本人の言葉どおり、古典を基礎に次々と新たな作風や技法に挑み、40歳で早世するまで日本画壇に新風を吹き込み続けました。
一方の善彦は、17歳で姻戚関係の御舟に弟子入りし、写生や古画の模写、作画姿勢などを学びます。また、戦中・戦後には、法隆寺金堂壁画の模写事業にも参加しました。(中略)
本展において、御舟の作品では、近年の調査で西洋の顔料を使っていた事実が判明した《和蘭陀菊図》をはじめ、金砂子を地一面に使う「撒きつぶし」を用いた《名樹散椿》【重要文化財】、本人曰く「二度と出せない」色で表した《炎舞》【重要文化財】など、また善彦の作品では、「吉田様式」を初めて用いた《桂垣》や、この技法を熟達させた《大仏殿春雪》☆、《春雪妙義》などを展示し、二人の代表作をはじめとする優品をご紹介します
御舟と善彦は、ともに伝統的な技法を土台に精緻で独創的なアレンジを加えて、それぞれ唯一無二の画風を確立した画家です。本展を通じ、御舟と善彦の師弟が追求した超絶技巧の世界をご覧ください。
【開催期間】
2021年9月9日(木)~11月7日(日)
出典:
これまでも何度か御舟の絵は見ているし、画集も買ったけど、その弟子も含めた企画展というのは初めてだ。
この吉田さんという人も始めましてなので、どんな影響を残したんだろうかというのも面白そうなポイントだ。
そして何より重要文化財にもなっている”炎舞”も改めて展示される。
また改めて見る中でどんな発見があるかも楽しみなポイントだ。
個人的みどころ
まずは速水御舟、なんといっても重要文化財にして1番の作品はこちらだろう。
私の待ち受けはこの絵なのだけど、こちらは画像と本物では見え方がまるで違う。
もっと言うと、展示環境によっても見え方が変わる。
私が最初に見た時には明るい中で他の絵と同様に展示されていたので、ほうとは思ったがそこまでインパクトを覚えたかと言えばそうでもなかった。
まぁ、他に見たいのがあったのでその時はそんなに一生懸命観てなかったんだけど。
しかし、最近は暗い展示室で、照明もピンスポット的に当てているので、非常に際立って見えるのだ。
まさに暗闇に煌々と燃える様を感じかれるので、この展示方法が正解だよね。
で、肝心の描き方だが、形の無い炎の描き方は時代や場所によっても変わるようだが、例えば仏教絵画では雲が渦巻いたような描き方がよく見かけるのだが、この炎舞も初見ではそれに倣ったような印象を受けたのだけど、じっくり観ていると全然違くて、
恐らく洋の東西を問わず最も炎を写実的に描いた作品ではないかと思えるのだ。
御舟自身、この絵を描く際には焚き火を焚いてひたすら観察した果てに完成させたと言われているが、たしかに炎ってこういう動きだよねと思う。
そしてそこに寄ってくる蛾が逆に浮世離れして感じられ、また周辺には薄く明かりがオーラのようにまとわりついていて、その描き方も見事である。
パチパチと薪を燃やす音も聞こえてきそうな不思議な静寂を生んでいる。
これだけでも見る価値は十二分にある。
御舟は若い頃からその才能が認められており、しかし新たな技法や画材などの研究もずっとしていたらしく、時代によって画風もどんどん変えていったことでも有名である。
そんな彼の画業を象徴するような名言があるのだが、私はそれを観て一気に彼のファンになった。
『梯子(はしご)の頂上に登る勇気は貴(とうと)い。さらにそこから降りて来て再び登り返す勇気は更に貴い』
守破離ではないが、物事を極めることそれ自体は素晴らしいが、それを捨ててまた別の道を登ろうとすることはもっと素晴らしい、みたいな話である。
こうした精神性には痛く共感したものだ。
炎舞のような写実的な作品を描く一方で、なんとも不思議な絵も描いている。
屏風に描かれた非常に大きな作品だが、なんとも幻想的と言うか、浮世離れしているというか、これは一体?とつい考えさせられてしまう。
御舟自身も自信作だったようで、この絵は後々の人が見ても面白いと思ってくれるだろう、と言った言葉を残したとか。
この絵全体としての面白さもある一方で、独自の技法も炸裂している。
画像ではわからないが、紫陽花の花の彩色において、独特の技法が用いられているのだが、このやり方については明らかになっておらず、御舟も誰にも教えなかってと言われているらしい。
絵の具に火を入れているのではないかとか研究はされているらしいが、絵を描くための技だけでなく、こうした技法も含めて表現を追求した人であったらしいね。
他にも静物画も多く描いているが、どれも唸るような作品ばかりだ。
ある同時代の画家は、彼の技術の何番の位置かでもいいから欲しいと言ったそうだ。
そんな才能にも努力にも溢れた彼は、残念ながら40歳くらいで亡くなっている。
日本画家の人って長生きする人が多いと言われているが、その半分にも満たない生涯であったのは悔やまれることである。
そんな彼の弟子が吉田善彦さんと言う人だが、この人はこの人で独自の技法を編み出して、それが吉田式などと称されるほど独自な方面で活躍した人だそうだ。
私はこの展覧会で初めて知ったのだけど、作風はそこまで御舟によるわけでもなく、写実性や絵に対する態度みたいなところを強く受け継いだのかな、と思って次第だ。
点描なども取り入れており、印象派の絵画のようだ。
この吉田さんの確立した吉田式というのは、金屏風の下地をシワクチャにしたものの上から描いていくような技法になるらしいが、うっすらと金色が透けており、また表面を引っ掻いたりすることで隙間からより鮮明に金地が見えることで独特な煌びやかさを見せるのである。
総じて淡い色合いは、モネのようでもあるかもね。
こちらも代表作とのことだが、画像だとはっきり見えない。
やはり本物を見てこそである。
微かな凹凸も含めた表現のため、足を運んでこそである。
速水御舟と音楽と
そんな超技巧派な2人と音楽を考えると、こんな音楽はどうだろうか。
日本のポストロック代表、toeである。
一聴するとシンプルながら、実はメンバー全員べらぼうに演奏が上手いことでも有名である。
彼らはそれぞれ会社をやったりエンジニアをやったりと、バンド以外にも仕事をしているためそんなに練習時間もじっくりと取れないのだけど、ライブではほぼ練習なしでも完璧な演奏をしてみせるのだとか。
自分たちの曲とはいえ、大抵の人はちゃんと練習しないとなかなかそうはうまくいくまい。
とはいえそれは背景の話なので分かりづらいと思うが、ひとまずはドラムの人に注目してみてほしい。
柏倉さんという人なのだけど、この人のドラムは歌うドラムとも言われており、大半がインストで歌のない曲の中で、彼のドラムがまるで歌のように響いている。
テクニカルなところはいろいろ語れるものらしいが、素人が聞いてもおお!?と思うのではないだろうか。
そうかといって過剰にテクニカルによっていくわけではなく、あくまで表現するための手段としてのテクニックというところがミソだ。
彼らのファンは世界中にいる。
まとめ
テクニカルなことはときに批判の対象にもなる。
技術に溺れて本質がないのではないかという話だ。
しかし、そうはいってもテクニックはある方がいいに決まっている。
そのことでできることは間違いなく広がるからね。
展示会は終わってしまったが、山種美術館のコレクションになっているので、折りに触れてまた展示されるだろうから、断片的にでもぜひ見てみてほしい作家である。